2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年09月
2006年08月
2006年07月
2006年06月
2006年05月
特殊清掃110番へ戻る
お菓子な奴
2006/6/30




6月も今日でおしまい。ということは、2006年も半分終わり。

今年の後半、これから迎える暑い夏を美味しいお菓子でも食べて乗り切ってもらうため、今回は、趣向を変えてお菓子の作り方を紹介する。
甘いものを食べると、疲れもとれ、リフレッシュできるからね。


興味がある方は是非チャレンジしてみて欲しい。
まず、フライパンを用意。ボウルじゃダメ。
溶かしバターから澄ましバターを作り、フライパンに多めに敷く。
チョコレートを湯煎し、柔らかくなった状態のものをバターの上に流し広げる。
チョコレートはできるだけ色の濃い、ブラック系が適す。
今度は、インスタントコーヒーを用意。
通常のインスタントコーヒーは粒が粗いので、少し粒が細かくなるように磨り潰す。
ここでは、粉末になり過ぎないように注意。


そして、このインスタントコーヒーを先程のチョコレートの上に少し盛り上がる程度に乗せる。黒蜜か色の濃いシロップをかけると、更にGood!

その上から、更に白のカラースプレーを適量散らす。
(※カラースプレー:チョコレートを砂糖でコーティングしたもの。お菓子作りの材料やケーキ・アイスクリームのトッピングによく使われる。形状は小さな米粒みたいな感じ。)

最後の仕上げにお好みのリキュール類を上から全体的に吹きかけて(霧吹きを使えばうまくできる)、全体にシットリ感をだせば出来上がり!



・・・え?何が出来上がりだって?
お菓子で作る液化人間・腐乱現場のミニチュア、フローリングバージョン。
私の過去のブログを思い出しながら想像力を膨らませて完成品を眺めてほしい。
(ハエや毛髪をうまく再現できる具材を思いつなかいのが残念!)
少しは、腐乱現場のビジュアルを体感できると思う(体感したくない?)
ひとしきり体感し終わったら、フライパンの中身をボウルに移して湯煎しながら小麦粉と混ぜ合わせ、整形し、オーブンでこんがり焼けば、ハイ!香ばしいチョコレートクッキーの出来上がり。
舌にも心にもちょっとビターな大人の味。


ここで一点注意。
間違っても、人間の形にしてみないこと。気持ち悪くなって食べられなくなったら、もったいないからね。
できたら、ハート型にでもしてもらえると気分が変わって美味しく食べられるかもよ。


ちなみに、布団・ベッド・カーペット・畳バージョンはこれとはまた違うので、興味のある方は、チャレンジしてみるといい。このバージョンでは、フライパンの代わりにスポンジ生地を使えば応用できる。ちょっとくどそうだけど、こってりデザートが好きな人には美味しいチョコレートケーキになるかも。



おかしな奴のお菓子作り講座は、これでおしまい。
最後に、今回はあまりにもくだらな過ぎるためか、周囲にアップロードを反対された中を押し切って書いたブログであることを追記しておく。





輪廻転死?
2006/6/29




遺品回収の依頼があった。故人は病院で亡くなったので腐乱死体現場ではなさそう。
とにかく、直ちに、現場に直行。
依頼者は中年女性。亡くなったのはその夫。
どことなく暗くて元気のない女性だったが、

「夫を亡くして間もないから仕方がない」

と思った。月並みのお悔やみを述べて、見積開始。今では、死体がらみじゃない仕事はどちらかというと不得意になっている私だが、一応、遺品回収・遺品供養も仕事のひとつなので、とりあえずは現場観察をして見積書を作った。
依頼者は遺品の供養に対して異常に神経質になっていた。


話を聞いてみると、夫の死去を含めるとこの家では三年連続で人が亡くなっているとのこと。それで、来年は自分が死ぬ番ではないかと心配していたのだ。

「このままこの家に住んでいると、来年は自分が死ぬことになるのではないか」

「怖くてたまらない」「どうすればいいか」

と相談を持ちかけられた。
神仏はもちろん、風水や妙な占いにまで頼って、自分の身を守ろうとしているのか、家中に訳の分からない置物や札などの護身?除霊?グッズが置いてあった。もちろん、清めの盛塩や清酒もあちらこちらに置いてあるような始末で。


この相談の返答には困った。
この人が最も恐れているものは「死」だが、その起因するものが何かを特定する必要があった。どうも霊的な祟りが連鎖していると心配しているようだった。

とにかく、この家に住む人間が毎年一人づつ死んでいっていることが怖くて仕方がなく、その原因が知りたくて知りたくて仕方がない様子。

「こういう類のことは俺の仕事じゃないんだけどなぁ」

と心の中でぼやきながら、どうしたらこの人の心の重荷を軽くできるか思案した。


私が出した最終結論は、

「ウソも方便」

ということ。
死体業に携わって積み重ねてきた経験をストレートにひたすら語り(これはウソじゃなく)、その上で、複数年連続して葬儀を出す家は決して珍しくないこと、もっと言えば、一年の間に複数回の葬儀を出す家だってあることを話した。
そして、ここからがウソになる。

自分には少し霊感があるように装ったのである。その上で、

「この家には霊的な祟りは感じない」

「死者が続いたのは、全くの偶然にしか思えない」

と目を閉じ、さも自信ありげに話したのである。その前に、さんざん私の経歴を聞いた後だったので、女性は疑いもなく真に受けたようで、安堵の表情を浮かべた。

そして、追い討ちを掛けるように、死体業をこんなにやっている自分がどんなに楽しくて充実した人生を送っているかを話して聞かせた。実際は、色んな悩みや苦しみ、辛いことだってたくさん抱えているんだけど・・・ね(苦笑)。

「霊的な祟りを気にするなんて、全くナンセンス!」

「そんな事言ってたら、私なんかとっくにあの世に行き!」

「明るく元気に生きていかないと、亡くなったダンナさんも心配しますよ!」

ってな感じで。


結局、それで女性の重荷が真に軽くなったかどうかは分からないが、その場で笑顔が戻ったのは事実。でも、せっかく私なんかを頼りに相談してくれたのに、ウソでしか癒すことができなかった自分が歯痒かった。



ついでに応えておく。読者からの質問もチラホラあるようなので。
私は霊感もなければ霊的な経験をしたこともない。
実は、私には思いっきり大量の霊がつきまとっているのに、私があまりに鈍感過ぎて、それに気づいていないだけ?もしくは、霊の方が気持ち悪がって近寄ってこないだけかも(笑)。守護霊も悪霊もドンと来い!私の場合、そんなの気にしてちゃ食べていけないんでね。

私は、腐乱現場で一人きりになったり、霊安室や遺体搬送車で遺体と二人きりになっても平気である。かつては、霊安室で遺体を前にして、昼食の弁当を平気で食べていたこともあったし、夜中の山道を遺体と二人きりでドライブをしたこともある。

ただ、現場に入る最初のときや、最初に遺体に触れるときには、心の中で故人に声を掛ける妙な癖?習慣?みたいなものがある。また

「この故人はどんな人生を歩いたんだろうなぁ」

等ということもよく考える。もちろん、返事を感じることはないが。
あとは、何故か昔から(中学生の頃から)心霊写真だけはものすごく苦手!!絶対に見ない!!

自分では意識していないつもりでも、たまには霊的な類のものを薄気味悪く思うこともあるので、半信半疑ながらも信じているということか・・・自分でもよく分からない。

「霊が見える」

という人は身近にも何人かいる。
最近は、霊能者・霊媒師のことをスピリチュアルカウンセラーと称するのか、その類の有名人もでてきた。彼等が何を言っているのかよく知らないが、知ったところで、多分、肯定も否定もしないだろう。それらは似て非なるもの。興味がない訳ではないが、結局のところ私の仕事には関係ない。


霊がどうのこうのと考えているヒマがあるくらいなら、私は一体でも多くの遺体を処置する。霊にも人にも礼を尽くして。




「生き残れ!」
2006/6/28




ある日の午後、特殊清掃の見積依頼が入った。依頼者は、死体現場なのか遺品回収なのか、またはゴミ処分なのか全く教えてくれず、

「とにかく鍵は開いているから、勝手に入って見積りをしてくれ」

という一方的な依頼だった。見積時に依頼者が来ないケースは珍しくなくなってきたので(好ましくはない)、今回も仕方なく現場へ向かった。


おおまかに現場近くまで行ってからカーナビで現場住所を検索してみた。ナビは目的地を表示するもの、最大限に拡大してもそこへたどり着く道が表示されない。

「???どうやって行けばいいんだ???」

と思いながら、とりあえず、接近可能な場所まで車で行った。夕暮時で、外は薄暗くなっていた。辺りを見渡して、地図とナビが示した方面に家を探したが、目的の家らしき家は見当たらない。困ってしまい、近隣の家を訪問して訊いてみることにした。

ある家に訪問して

「すいません。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが・・・。」

と声を掛けたまではよかった。

「○○さん宅をご存知ないですか?」

と尋ねた途端、その家の人の表情が変わった。

「知ってますけど・・・○○さんちに行くんですか?」

と驚いた様子。

「この驚き方は腐乱死体現場かな?」

と思いながら、

「ええ、でもちょっと場所が分からなくて・・・」

と私。



とりあえず、その家の人は

「本気で行く気か?」

とでも言わんばかりの表情ながら、丁寧に場所を教えてくれた。やはり、車では入れないところらしい。
一通り場所を教わると

「ご丁寧に、ありがとうございました。助かりました。」

とお礼を言って現場へ向かった。
その家の人は

「どういたしまして。本当に気をつけて行って来て下さいね。」

と意味深に見送ってくれた。

「妙な見送り方をするもんだな・・・」

と思いながら、

「それだけヤバイ現場っていうことか・・・」

と考えながら、車を進めた。教わった場所に車を停め、あとは徒歩(トホホ・・)。もう外はかなり暗くなっていた。



暗くなってからの出動は日常茶飯事なので懐中電灯は常に車に積んである。
歩いていく途中には外灯もなく余計な墓地があったりして、小心者の私には最高の演出だった(冷汗)。

歩くことしばし、やっと目的の家を発見。現場は住宅地から離れた、森?雑木林?藪?の奥にあった。しかも、とても人が住んでいたとは思えないような老朽家屋だった。
この辺でさすがの?私もビビり始めた。
でも、見積りに来た以上は中を見分しなくてはならない。誰もいないと分かっているのに、

「こんばんは〜」「ごめんくださ〜い」

と小声で念仏を唱えるように、家に近づいて行った。



懐中電灯を家に向けて照らすと、そこには無数に光るものが。
全体を照らしてみると、20〜30匹はいただろうか、たくさんのネコがジーッとこっちを睨んでいた。これには背筋もゾーッ!この不気味な状況をリアルに伝えられないのが悔しい。ネコ達は私が近づいても視線を動かすだけで微動だにしない。それが更なる無気味さを増長させた。

「いくらネコとは言え、こいつら全部に同時に襲われたら生きてられないかもな」

と思いながら、このネコ郡を越えていくかどうか迷った。


何とか家に到着。中に入ろうと入口を探したが、入口がなかなか見つからない。

「これで、中に腐乱死体痕があったら、どうしよう・・・」

気持ちは半泣き状態で

「見積りなんか放っておいて、もう帰ろうかなぁ・・」

と思ったほど。
その矢先、いきなり中から人間が(中年男性)が飛び出してきたのである。
もう、驚いて、腰を抜かすかと思った!!



男性は最初からキレた状態で、私に訳のわからないことを怒鳴り散らしていた。男性は私に襲い掛からんばかりの勢いで、私の言うことなんかには耳も貸さず怒鳴り続けた。

暗闇の雑木林の中で、私は無意識のうちにその辺の棒キレを手に持った。
私も、こんな所でやられるわけにはいかない。いざとなれば応戦するしかない。


しばらくして、やっと男性も落ち着いてきて、会話ができるまでになった。
事情をきくと、今は、金もない・仕事もない状態で、借金もたくさんあるとのこと。普段から金融会社の取り立ても厳しく、私を借金取りと勘違いしたらしい。
そのうち、

「もう俺は死ぬしかないんだ・・・死んで金を払うしかない・・・」

と言い始めた。
半分開き直っている私は

「生命保険とか年金とか、ちゃんと入ってるんですか?」

と無神経な質問をしてみた。
応えは

「金がなくて入ってない」

とのこと。ズッコケ!

「じゃぁ、死んだって一銭にもならないじゃないですか!せっかく生まれてきたのに自分の命が¥0なんて悔しくないですか?」

と一喝。
それでも男性は

「そんなこと言ったってしょうがないだろ!」

と反論。

「アナタが死んだら、家族やネコ達はどうなるんですか?」

と言ったら、男性も黙り込んだ。


さすがに、家族やネコ達を残して逝くことには躊躇いがあるようだった。
愛する者、自分を愛してくれる者の存在は、それだけ影響力があるのだろう。


何はともあれ、実際に人が住んでいる以上は、勝手に中にも入れないし(入りたくもなかったし、入らせてくれともお願いしなかった)、こんなに苦労したのに、見積ができないま退散することに。


翌日確認すると、そこは借家で、私に依頼してきたのは大家らしい。
大家さんの事情を想像すると、家賃の滞納はもちろん、その汚宅は地域住民からのクレームも少なくなく、強制的に追い出すしかないと考えたのだろう。そうは言っても自分で手を下すのは抵抗がある。そうして探し当てた適任者?が特掃部隊。大家は、特殊清掃をやっている人間だったら神経も図太いと考えたのだろうか、詳しい事情も話さず

「とにかく、見積りに行ってくれ!」だった。

大家さんには

「勘弁して下さいよぉ」

とクレームをつけたら、

「今度は明るいうちに行って下さい」

と言われてしまった。

・・・一瞬、言葉に詰まったが

「見積時は御依頼者に立ち会っていただくのが原則なので、今度は、大家さん一緒に行きましょう」

と返しておいた。


大家は、あっさり同行を拒否。私もこの仕事には気が進まなかったので断ろうかとも思ったが、アノ男性のことが気になったので、再訪問してみることにした。
ホントに死なれちゃかなわない。



今度は明るい日中、手土産に、自己破産について分かりやすく書いてある本を持って。
二度目の訪問ということもあったし、明るい時間に行ってみると、案外、不気味さはなかった。
明るいところで見ると、ネコも格好可愛いもんである。数が多すぎるのが難だが。
男性はいた。今度は最初から冷静に話ができた。
スゴク失礼かとも思ったが、持参した

「自己破産ガイドブック」

をプレゼント?した。
(自分でも読んでみたが、自己破産にも色々な種類があることを知り結構勉強になった)
昔どこかで聞いたことがある言葉を思い出して男性に訊いた。

「目は見えますか?」「うん、見える」

「耳は聞こえますか?」「うん、聞こえる」

「話すことはできますか?」「うん、話せる」

「手は使えますか?」「うん、使える」

「歩くことはできますか?」「うん、歩ける」

「じゃあ、ないのはお金だけですね。人間、死にたくなくてもいつかは死ななきゃならない。死ぬのは、やれるだけの事をやってみてから考えたらどうですか?」

私は、そう言い残して現場を後にしたのであった。


その後、大家からは何の連絡もない。

「連絡がないのは男性が無事な証拠」

と勝手に思っている。




明日があるさ
2006/6/27




私達のほとんどは当たり前のように今日を迎え、明日が来るのも当たり前だと思って生きているのではないだろうか。死体業を長くやっていると、その辺の感覚は一般の人の比べると鋭くならざるを得ない。

「自分に明日があることは何ら保証されたものではない」

「できるだけ悔いを残さないよう。やれることはやっておきたい」

と思いながら、結局は、自分に負けて堕落した生活を送ってしまう私である・・・(苦笑)。



ある若い男性が死んだ。自宅二階のベッドの上で。自殺ではなく自然死。私が現場に出向いたのは、当日の夕方近くになっていた。
特殊清掃の依頼といっても、ベッドマット(敷布団)の一部が糞尿で汚れていたくらいで、その汚れは私のような専門業者に依頼する程のものではなかった。依頼者は故人の母親で、息子の急死が信じらないというか、受け入れられていないというか、夢の中の出来事のように、どこかボーッとした感じだった。

私の話も聞いているのか聞いていないのか分からないくらいに、返答もハッキリしない。それだけ、大きなショックを受け、頭がパニックを超えたパニックになってしまっていることが見て取れた。

私は、とにかく依頼された作業をした。前記した通り、大した汚れではなかったので作業自体はすぐ済んだ。
でも、作業が完了してすぐ立ち去ることができなくなった。
母親の状態を見ていると、とても母親を一人残して帰る訳にはいかなくなったのである。


人はその時々の精神状態によって突拍子もない行動にでることがある。それがいい行動とは限らない。その母親にはその心配があった。


外も暗くなり時間も遅くなったので、正直言うと早いところ退散したい私だったが、夫(故人の父親)が戻ってくるまで待っていることにした。
待っている間、電話が何本もかかってきた。どこかでこの家に起こった不幸を耳にした友人・知人・関係者がジャンジャン電話をかけてきたのである。電話にでる度に母親は

「うちの○○(息子の名前)が死んじゃったのよぉ」

と世間話でもしているかのような口調で受け答えていた。そのやりとりを聞いていたら、なお更、この母親を一人にしておく訳にはいかなかった。
当然、夫も仕事どころではなく、死んだ息子のことで外を走り回っていたらしい。


夫も帰宅を待つ間、電話がないときは一方的に喋る母親の話を黙って聞いていた。
息子は、昨夜、少し風邪っぽいということで市販の風邪薬を飲んで、いつも通り二階の自室に入って就寝した。ところがである。今朝になって、いつも起きてくる時刻になっても一階に降りて来ない。母親は「ただの寝坊」と思い、

「仕事に遅れるといけない」

からと息子を起すために入った。すると、ベッドに寝たままの状態で息を引き取っていたというのである。その後は、救急車を呼んだりしての大騒ぎ。でも、結局、息子は帰らぬ人となってしまったのである。


そんな話を聞いて、私はどんな表情をすればいいのかも分からす、掛ける言葉も見つからなかった。ただただ黙って、そこにいるしかなかった。


しばらくして、冷たくなった息子は葬儀社の寝台車に載せられて、父親と共に無言の帰宅。
部屋の布団に安置するのを手伝った。検死を受けたため息子は裸だった。
そこには同年代の若い男が二人いた。
一人は私、死体業、生きている。
もう一人は故人、会社員、死んでいる。
何とも言えない複雑な心境で、強い同情心を持ったのを今でも覚えている。


父親は、少しは冷静さを持っており(当然、落胆の色は濃かった)、お悔やみの言葉を伝え、私は自分がやった清掃作業の内容を説明して帰ろうとした。もう、外は真っ暗になっていた。
帰ろうとする私の後ろから、両親の

「裸のままじゃ可哀想だなぁ・・・」

と言う声が聞こえてきた。こんな私でも良心があるのか、足が止まった。
自分は遺体処置もできる旨を伝え、故人が愛用していた洗いたてのパジャマを着せ死後処置をした。ここまでくれば何かの縁、これでお金をもらおうなんて少しも思わなかった。
両親は、深い悲しみの中にも感謝の気持ちを伝えてくれた。
そして、私は帰途についた。
あれから、10年以上経つが、あの現場のことをたまに思い出す。


「死」というものは、老若男女・年齢・社会的地位・経済力を問わず、誰にも必ず訪れる。
それが、明日かもしれない・・・。




世間の風
2006/6/26




今回は、首吊死体について書く。少々グロテスクな内容であるし(今更何を言ってんだ?)、読者の家族や友人・知人にも首を吊って自殺した人がいる可能性が高いので、少々気が引ける。何しろ、日本人は自殺手段としては首吊を最も好む人種らしいので。
もしも、気分を悪くされるような方がいたら、予めお詫びしておく。


私が幼い頃、

「首を吊って死んだ人間がどんな状態になるか」

という風評を何度か聞いたことがある。まず顔は?というと、

「眼球が飛び出て垂れ下がり、舌も長く垂れ出る」

身体の方は、

「放尿・脱糞のうえ尻の穴からは内臓がでてきて垂れ下がる」

という内容で、子供の頃は

「うわ〜気持ち悪りー!」

等と言いながら、そういう話に花を咲かせていたものである。子供って、そういうおっかなビックリ的な話が大好きなものであり、純粋な分、残酷でもある。



そして、私は大人になって、実際の首吊死体に出会うことになるのである。しかも幾度となく。
首吊死体を初めて見たのは、この仕事を始めて間もない頃だった22歳頃だったと思う。肝心の遺体よりも、自殺者をだしてしまった遺族がどんな感じなのかの方に興味があった。

「下種の野次馬根性」

である。



私の予想に反して遺体も遺族も通常死のケースと大きな違いを見つけることはできなかった(遺族の反応については、あくまでこの案件に限る)。

遺体は通常死の遺体と特に変わったところは見当たらす、不謹慎な表現ながら「期待外れ」というか「拍子抜けした」ような気分だった。当時、若輩の私自身がかなり緊張した状態で現場に行ったせいもあるのだろうが。


あれから、だいぶ経験を積み、色んな首吊死体と遭遇してきた。幼い頃、面白半分に騒いでいた風評は、それこそ「どこ吹く風」で、実際はそんな状態になっている遺体に遭遇したことはない。ただ、通常死と異なるのは、首に痕がクッキリ残っていることくらい。

あとは、遺体によっては、目を開けたままの遺体や舌が噛まれた状態で少し出ているケースがあったり、顔が変色しているケースがあるくらい。
顔の変色で極端な遺体になると、濃いグレーに鬱血しているような遺体もあるが、これも珍しい。

「尻の穴から内臓が出る」

なんて、全くもって事実無根である。


ただ、参考までに一点。
我国は死刑制度を持つ国だが、絞首刑遺体の場合は風評に近いものがあるらしいことは、複数の文献で調べたことがある。死刑囚の首を吊る場合は、窒息させて殺すというより、高いところから一気に落下させ、首の脊髄を瞬時に破壊して即死させることを目的にして首を吊らせるとのこと。したがって、絞首刑の場合は、眼球が飛び出て、口からは舌が長く垂れ下がり、血を吐くらしい。当然、放尿・脱糞も。

それでも、完全に死亡が確認できるまで十数分も時間を要するとのこと。
死刑制度の是非は私がどうこう言えるものでもないので、それには触れないが、こんな私でも死刑執行の様を想像すると背筋がゾッとする。



話を戻そう。
比率的に言うと、首の痕以外は通常死遺体と外見は変わりない遺体の方が圧倒的に多い。

幼い頃の風評は何だったんだろうか・・・
世の中には色んなネタで、事実とは全く異なる風評が常識のようになって蔓延っていることも少なくないように思う。
世間の風評に安易に流されないような、重みのある人間になりたいものである。



世間の風は冷たい。残念ながら。
私に吹く風は臭い。残念ながら。




弱肉強食
2006/6/25




弱肉強食は何も野生動物の世界に限ったことではない。我々人間界にもある。

一時、「勝組・負組」という言葉が流行った。
それが意味する勝敗の基準は、ほとんど社会的地位と経済力だと思う。その基準では私は完全に負組だ。その自覚もある。卑屈になって諦めている訳ではなく、現実は現実として。

でも、とにかく、自分には負けたくない。非常に漠然とした抽象的な言い方だが、勝敗は自分で決めるもの、自分で分かるもの。
(無意識のうちに読者ウケを意識してしまうのか、最近、自分なりの精神論(時に「きれい事」とも言う)を吐くことが多くなってきたかも・・・イカン、イカン。)



本題に移らねば。今回はハエ戦記。

ハエの世界にも勝組と負組がある。何度も記しているように、腐乱現場にいる生き物と言えばウジとハエと、そして私。三者仲良くしてる訳にもいかず、争いごとが嫌いな温和な私でも避けられない壮絶な?戦いを強いられる。

ハエ軍は大して苦戦しない。窓を開けるまでは無数のハエがブンブン飛び回る中に入っていかなければならず、多くのハエが容赦なくたかってくるが、一旦窓を開ければ勝手に飛び去ってくれるからだ。

強敵なのはウジ軍だ。かつては市販の殺虫剤(ウジ殺し)を使ったこともあるが、本当にウジを殺す威力があるのか疑いたくなった。薬をかけてもかけてもウジ軍は動きを止めず勢力範囲を広げてくる。しかも、見た目が気持ち悪い。

結局、最終的には手作業で掻き集めてポイするしかないのだが、あのムニュムニュした感触は何度触っても気持ち悪いし、とにかく一匹一匹が拾いにくい。


さて、ウジ・ハエ業界の勝組になりやすいのハエである。
腐乱現場で彼等の食料になるのは、ご想像の通り腐乱死体である。人間一人分の身体があれば、しばらくの間は相当豊かな食生活が送れるはず。しかも、その間、蝿はウジをどんどん産んでいき、ウジはどんどん増えていき、ウジはどんどんハエへと羽化し、羽化したハエはまたウジを産んでいく・・・その増殖連鎖が繰り返されながら、腐乱死体は固体から液体へと変化していくのである。

現場のウジ・ハエの大きさ・量も死体の死亡時間を算出する材料になることは比較的よく知れた話だと思う。

しかしだ、彼等にとってせっかくの御馳走も、いきなり警察が現れて持っていってしまうと、彼らも途端に食料難に陥ってしまうのである。

それでも、力のある者(機動性に優れたハエが中心)は部屋の中の残飯や何かをあさって食いつないでいく。しかし、やはりそれにも限界がある。幼いウジを筆頭に次第に餓死する者が発生してくる。餓死したウジは乾燥して茶色く変色し、サクサク系のお菓子のようになる。腐乱経過日数が多い現場だと、そんなのが無数に床に転がっている(と言うか、敷き詰められている)ので、踏まずには仕事にならない。踏んだ感覚は、サクサク・パリパリと何とも言えない軽快な?音がする。

さて、そのうち、力尽きたハエもあえなく落下死亡。それも無数の数。ホウキで掃き集めると小山ができるくらいの量になる現場も数多い。


ハエと言えども、最後に残るのは本当に強い奴だけ。
最後の最後まで生き延びたハエを殺虫剤で殺すのは容易いことなのだが、

「一寸の虫にも五分の魂」、

窓を開けて逃がしてやる・・・と言うか邪魔だからとっとと追い出す。


かくて、腐乱現場では勝組として生き残ったハエ達は再び活躍できる場(食料を求めて)世間に飛び立って行くのである。しかし、外界でも勝組になれるとは限らない。外の世界は外の世界で、多くの敵が潜んでいるはず。虫を食べる鳥類とか。それでも、彼等は次の糧を求めて必死に生きているのである。
話が脱線するが、ウジとかハエって、結構偉いかも。誰もが嫌う腐乱死体や生ゴミ・残飯・ウ○コに対して何の抵抗もないと言うか、好んで集って行くんだから。ある意味、私と同類かも(苦笑)。


生きていくことが楽なことばかりじゃないのは、人間もハエも同じこと。
どこかで黒光りしているデカイ蝿を見かけたら、思い出して欲しい。

「こいつらは頑張って生き残ってきた勝組なんだ」

と。・・・

ただ、それで自分が元気づけられるようだと、ちょっと問題があるかもね。



さぁてと、今日もハエにたかられに行ってくるか!
んじゃ、行ってきま〜す。




知らぬが仏
2006/6/24




特殊清掃と遺体処置のダブル依頼で現場へ。故人は中高年女性。

何人かいた遺族にお悔やみを述べ、

「よろしくお願いします」

と言われて家の中に入った。泣いている人も何人かいたが、一人だけ態度に落ち着きがなく、私にピッタリくっついて離れない人(中年女性)が居る。故人と同居していた長女らしい。


「妙な人だなぁ」

と思いながら、とりあえず遺体の安置されてある部屋へ。遺体には不自然なくらい(顔が隠れるくらい)に布団が深く掛けてある。それを見て更に妙に思った。
長女は、私に何かを言いたそうにしているのだが、他に人がいるから言えないといった様子で、歯がゆそうに私の動きを逐一監視していた。

その様子を感じ取った私は、

「遺体処置作業の都合」

ということで長女だけ残して他の遺族には席を外してもらった。葬儀では長女が喪主を務めるということだったから、ちょうどいい口実だった。
長女は、二人きりになってもしばらく黙っており、何となく気まずい雰囲気。
突然、

「事情がお分かりですか?」

と尋ねてきた。

「ん?事情?」

と、私は少々けげんな顔をしてしまったと思う。

でも、遺体を見てすぐ分かった。

掛布団めくってみると、首には季節はずれのマフラー?スカーフ?みたいなものが当ててあった。内心

「首吊りかぁ・・・」

と思いながら、その布をとってみた。やはり、首にはクッキリと紐の痕がついていた。

「事情って、このことか」

と思いながら、長年の経験がある私は首吊自殺くらいでは驚きはしないから、長女には

「慣れてるから平気」

であることを伝えた。


しかし、長女が気にしていたのは全く違うことだった。

「故人が自殺死であるということは、家族・親族内では自分以外誰も知らないし、これからも隠し通したい。」

と言うことだったのである。


これには、ちょっと驚いた。早朝、首を吊った母親を発見し、自分一人で降ろして、布団に寝かせ、家族には突然死(自然死)に見せかけたというのだ。救急隊員や警察にも、他の者には知られないようにお願いしたとのこと。

そんな話を部屋から声が漏れぬようヒソヒソ話。そして、私への要望は、

「遺体を誰が見ても首吊自殺だと分からないようにして欲しい」

というものだった。

その要望自体は大して困難な作業ではないので、快く引き受けて無事完了(細かい作業内容は内緒)。その仕上りに、長女も私も満足。
作業が終わってから部屋を開放し、遺族の皆さんに集まってもらった。
皆が皆、自然急死だと思っているので、故人の子供や孫達をはじめ、かなりの人が

「お母さん(お婆ちゃん)、可哀想に・・」

等と言いながら泣いていた。


長女は、肩の荷が軽くなったようで、表情も穏やかになった。仕事を終えた私は、遺族で混み合った家の中で長女と目で会釈を交わしから現場を後にした。


故人の死去を聞いて駆けつけてきた親類に対しては時間稼ぎもできるし、何とか隠すことができても、同居している夫や子供達にまで隠し通していたのは見事であり、表現がおかしいかもしれないが感心した。

長女には長女なりの情があった故のことだろうし、その家族・親族にも他人には分かり得ない事情があったのだろう。


何がともあれ、これが、長女が母親にしてあげられる最期の親孝行だったのかもしれない。




死体と向き合う
2006/6/23




読者の書き込みの中にある質問で多いのが、この仕事をやっている動機ややることになったきっかけは?というものと、収入の金額を尋ねる内容のものである。あとは・・・幽霊についての質問などもあった。

先日も書いたが、ご質問についてはブログを通じてお応えするつもりである。
もちろん、全ての質問には応えられないだろうし、答えたくないネタには触れないので、ご容赦願いたい。そして、賛否両論もあり、読者個々に色々な感想を持たれるだろうが、書いている内容はあくまで私個人の主観であり、偏見や先入観があっても自然なことだと思っていることも併せてご了承を(つまらないジョークもね)。
ただ、できるだけ率直な気持ちで持論(自論)を吐こうとしているだけで、決して正論を書いているとか、人の上に立っているという勘違いをする程バカではないと自認している。


今回は、この仕事をやっている動機・きっかけについて簡単に記そう。
動機・きっかけをきれいに言うと、「好奇心」である。悪く言うと「現実逃避」とも言えるかもしれない。

東京都内の三流私立大学卒の私は、学生時代はアルバイトと遊興三昧。学業はおろか、就職活動業もまともにやらなかった。当時は、企業の求人に対して学生の方が少ないような好景気だったから、同級生達は皆、名の知れた企業(ほとんどが上場企業)へと就職していった。

そして、私はそのまま卒業し、社会的な肩書はいきなり「学生」から「無職」(当時はプータローと呼ばれていた)へ。住所不定じゃなかっただけマシかもしれないが、22歳で無職の私は、いきなり社会(家族)からダメ人間の烙印を押されたのである。

特に専門的な資格・技能を持っている訳でもなく、他人に抜きん出た能力がある訳でもなく・・・一番問題だったのは夢(やりたい仕事)がなかったということ。他人からすると、バカバカしいくらいワガママで自分に甘くて弱々しい人間に見えたことだろう。


そういう状況で、人から非難され続けると、次第にやる気が減退していき、徐々に鬱状態になっていき・・・そのうち「人生の意義」とか「生きる意味」とかを考えるようになり、生きる気力を失っていった。

そして、極端な鬱状態に陥った。学生時代の楽しかった思い出ばかりに浸り、幸福を空想し、実家の一室に引きこもった。そんな生活が半年続いた。
「このまま生きていてもいい事は何もない」「自分の将来には辛くて苦しいことばかりが待っているだけだ」「生きていても仕方がない」と考えるようになっていった。
そして、とうとう自殺を図ったのである(自殺未遂の詳細は省略。思い出したくないので。とにかく、心身ともに辛かった!)。


幸か不幸か自殺は未遂に終わり、私は生き残った。助けてくれた方々に申し訳ないけど、その時は生き残った喜びはなかった。
とにかく、周りの人々・家族に大変な迷惑をかけてしまったことは事実。

とりあえず、生きてみることにした私は、夢や生きがいを求めるのはやめて、ただ少しでも興味の持てそうな仕事を探した。精神科と職安と立呑屋に通いながら。
その時点では「新卒」ではなくなっていたものの22歳の私に選べる仕事はたくさんあった。しかし、人生を悲観している私でも、何故か将来(人生)が先読みできてしまうような仕事に魅力を感じなかった。
そうこうしているうちに巡り合ったのが「死体業」であり、好奇心の赴くままにその世界に飛び込んだのである。その時も、「あとはどうにでもなれ」という、人生を投げやりに思う、短絡的な気持ちがあったのも事実。


さて、応募して面接に行みたら・・・年齢も若く華奢に思われたのか、最初の面接でいきなり不採用にされてしまった(もちろん、精神科に通っていることは内緒にしていたのだが)。

さすがに「不採用」はショックだった。

「こんな仕事なんだから、雇主からすると即採用、大歓迎に違いない」

と高飛車にたかをくくっていたのである。

「三流とは言え大卒だし、年齢も若いし、どこに不採用にする要素があるんだ?よりによって死体業なんかで」

と全然納得できなかった。そう、つまり、私自身が死体業を蔑み見下していたのである。


しかし、せっかく生きることにして探し当てた仕事である。そう簡単に諦める訳にはいかない。と言うか、不採用に納得できなかった。しつこく不採用理由を問い合わせているうちに、雇主も私を相手にするのが面倒臭くなったみたいで、とりあえず押し掛け状態で仕事に就かせてもらった。

後から聞いた話だが、雇主は、「どうせ2〜3日もすれば根を上げて辞めていくだろう」と思って、私には特にキツイ現場の下働きをさせたらしい。
それが、一ヶ月経っても二ヶ月経っても辞めない、半年くらいした時点では完全に戦力の一員になっていて、やっと正スタッフとして認めてもらえた。
当時のスタッフは皆、訳ありの中高齢者ばかりだった。黙々と仕事に励んでいるうちに、始めは冷たかった先輩達もはるかに年下の私を親切に可愛がってくれるようになっていた。


家族は?というと猛反対!仕事の影響でまた自殺を図ろうとするかもしれないと心配したのか、私の将来を心配したのか、世間体を気にしたのかは分からないが。お陰で?家族には、最初の何年かは勘当・絶縁状態にされてしまった。
とにかく、中途半端なことはしたくなかったし、反対した人達への意地もあったので、どんなに辛くても三年は辛抱しようと心に決めて働いた。
「石の上にも三年」「桃栗三年・・・」とも言うし。

最初は下働き中の下働き、キツイことや辛いこともあったけど、面白い事や楽しい事、もちろん刺激的な事もたくさんあった。仕事を始めてから半年で精神科も中退した。医師の判断による卒業ではなく、自分の判断による中退である。医師のカウンセリングや病院から処方される薬より、遺体から受ける無言のカウンセリングと遺族の反応という薬がバッチリ効いてきたのである。
あれから十数年・・・そのまま現在に至っている訳である。

人間は歳を重ねれば感性や価値観、ものの考え方も変わる。
正直言うと、

「大手上場企業に勤めてみたかったいなぁ」

とか

「堂々と人に言える仕事がしたいなぁ」

と思うことは何度もあった。大学時代の友人や世間一般の人と自分を比べてみて、今でも劣等感を覚えることがある。

学生時代の友人とたまに一緒に飲んでも、

「その手きれいか?」

「臭いはとれているか?」

等と冷やかされてしまうような始末である。
露骨な奴になると

「うェ〜」

と嫌悪の悲鳴をあげてくる奴もいる。でも、それがまともな神経なのかもしれないし、否定できない現実。今更、気分も悪くならない。

悲しいかな、人生は一度、身体も一つ、複数の道を歩く事はできない。自分の仕事と人生、歩いてきた道と歩いていく道を想い、

「これでよかったんだろうか・・・これでいいんだろうか・・・」

と疑問に思ったり、将来を不安に思ったりしない訳でもない。後悔がないと言えばウソになる。

ただ、何故か、この仕事をやめようと思ったことは一度もない!
現在の私自身の微妙な心理と葛藤を正確に伝えるのは難しいが、それでも

「仕方なくやっている」

とか

「嫌々やっている」

とは思わないでもらいたい。


ついでに言うと、世のため、人のためにやっているつもりもない。これはビジネスである。他人の役に立つこと、喜んでもらうことは結果論・成果のひとつであって、それは初動の動機ではない。もちろん、私に仕事を依頼することによって、依頼者に満足して感謝してもらえれば素直に嬉しいし、今後もそういう仕事をしていきたいと思っているが、私は、社会貢献を口できるほど立派な人間ではない。私には「世の為、人の為」なんて、僭越過ぎる。

また、読者が私を賞賛や励ましの書き込みをくれるのは大変ありがたいし、とても嬉しいことだが(そんな書き込み大歓迎!)、勝手に私のことを善人・それなりの人格者(または極端なその逆)だと勘違いしないようにだけは気をつけてもらいたい。私は、ただただ風変わりな仕事をしている凡人。

ただ、次元は低いかもしれないが、私はこの仕事を通じて、自分なりの哲学やポリシーを育んできた。それは今も一件一件の仕事や読者からの書き込み通じて成長している。
きれい事を吐くようだが、身体は汚しても心まではできるだけ汚したくないとも思っている。


今回は(も?)堅苦しくつまらないブログになってしまった。気の利いたオチもなくて申し訳ない。


ちなみに、読者の皆さんは私のことを「管理人」「隊長」「Clean110」等と呼んでくれているが、呼称も「特掃隊長」とかに統一してもらえれば少し満足(?)。




脱帽
2006/6/22




老朽アパートの一室で、腐乱死体が発見された。私が駆けつけたときは既に遺体は警察が回収して、火葬を待っている段階だった。亡くなったのは中年男性。遺族といえば兄弟くらいしかいない人らしく、遺族の到着を待ってから部屋に入ることになっていた。その部屋は、外から見ても窓に無数のハエが貼り付いていて、中の様子がほぼ想像できた。

しばらく待っていると、遺族(故人の兄弟達)がやって来た。
東北の某県からわざわざ来たらしく、話す言葉は東北弁で、ゆっくり話してもらわないと何を言っているのか分からなかった。

「だいぶ臭いはずですから、気をつけて下さい」(気をつけようもないのだが)

と言いながらドアを開けて中へ。
案の定、中はいつもの悪臭とハエだらけで、汚染部分にはウジが這い回っていた。
驚いたのは、その後の遺族達のアクティブな動きだった。

「大して臭くないでねぇか」(スゴク臭いのに)

と言いながら、私を通り越してズカズカと中に入り込んでいったのである。ほとんどのケースだと、始め、遺族は私の背中に隠れるようにしているか、外で待っているかのどちらかなのに、この人達は違った。まさに強者達。

そして、更には、腐敗液のついたカーペットを素手で捲り挙げて、その下の畳の汚染具合を確認したり、ウジやハエのついた家財を気にもしないで触りまくっていた。

「使えるものがたくさんある」「田舎に帰らないといけないからあまり長居はできない」等と言いながら、腐敗液もウジもハエも、悪臭さえも気にする様子もなく家財道具・生活用品をまとめはじめたのである。しかも、マスクどころか手袋もせず、普段着のままで。

呼ばれて来たのはいいけれど、私が出る幕なし。遺族が私に依頼する作業内容がハッキリしないので見積りのしようがなかった。その前に、「この人達だったら、私の作業は必要ないかも」と思った。
そういう状況なので、私に依頼する内容が固まったら、再度見積もりに参上することにして、一旦は退散。

数日後、連絡が入り再び現場へ。中の荷物はほとんどきれいにまとめられていた。「まだ使える」「捨てるのはもったいない」ということで、ほとんどの物を持ち帰ったようで、残された不要品は少なかった。物を大切にすることはいいことだが、図太い神経だ。

ただ、それからが問題だった。大家は殺菌消臭をはじめとするフルリフォームを要求、遺族は荷物の撤去だけで充分と主張し、意見が真っ向から対立していた。
私は、第三者(専門家)として意見を求められたので大家側に立った。そりゃそうだ。腐敗死体の臭いがする部屋に新たに入居する人がいる訳がない。ただでさえ、完全リフォームしてでも、死人がでた部屋には入居者は入りにくいというのに。
遺族は

「このくらいの臭いは平気」「ウジやハエなんて、普段だってそこら中にいるもんだ」

と勝手なことを言っていた。この人達は普段どんな暮らしをしているんだ?腐敗液やウジのついた物を平気で素手で触れるような人達だから、もともとの感覚が違うのだろう(私が言うのもおかしいかもしれないが)。

とりあえず、私は不要品の撤去と簡単な消臭作業のみをやった。大家は自分の味方として加勢してほしそうだったが、大家vs遺族のトラブルに巻き込まれたくなかったので、作業をそそくさと済ませて退散した。


それにしても、特殊清掃を本業とする私が顔負けするほどの肝の据わった遺族だった。脱帽である。




ハグ
2006/6/21




ある不動産会社から依頼が来た。過去のその不動産屋:担当者からの依頼で仕事をやったことがあり、お互い全く知らない間柄でもなかった。

現場は少し古いマンション。近隣の住人が

「異臭がする」

と言ってきたらしい。不動産業も長年やっていれば、住民が「異臭がする」と言ってくれば腐乱死体かゴミ屋敷かどちらかしかないと判断する。あとは、せいぜい排水溝の問題くらいである。

今回は、腐乱死体だと判断したらしく、

「ドアを開錠するので立ち会ってほしい」

という依頼だった。


現場に行ってみると、やはり腐乱死体の異臭が漂っていた。異臭の原因は腐乱死体に間違いない!
いつも通り手袋をして、ドアを開けるため鍵を預かった。

手袋を着けている間、一応、ドア回りを見回したら、ドアの淵が妙に湿っていて、よく見ると隙間にかすかにウジの姿が見えた。


「遺体は玄関ドアから近いところにあるな」

と内心警戒しながら、何となくイヤーな予感がしたので、

「第三者が最初に開錠して、後々に法的な問題が発生したらマズイから」

と、不動産屋に鍵を返して、不動産屋にドアを開けてもらうことにした。

「あ、そうですかぁ・・・」

と言いながら、少し嫌そうにしながら不動産屋は鍵を受け取った。不動産屋が嫌そうにしたのは、私だけが着けている手袋が気になったからであって、中の状況に不安感があってのことではなかったと思う。

渋々、その不動産屋は開錠・ドアを開けた・・・その途端、腐乱死体が不動産屋に抱きつくように被いかぶさってきたのである。
死体は、ドア金具に紐を掛けて首を吊ったまま腐乱していたのである。

不動産屋は

「ぎゃーっ!!!!!」

と悲鳴をあげて倒れこんだ。そして、その上には腐乱死体が!私も驚いて

「ウワ〜ッ!!」

と声を上げて後ずさりしてしまった。


もう、ビックリして頭の中が真っ白になった。
とりあえず、この場は何とかせねば!不動産屋は自分にのしかかってきた遺体を押し退けて言葉にならない嘆きの奇声を発していた。それはそれは悲惨な状況だった。

まずは警察を呼ぶべきなのに、不動産屋は

「先に俺を助けてくれ!」

という状態に。それでも警察に一報いれてから、消毒剤を使いながら汚れた身体を清拭し、汚れた服を脱がせ、私の着替用の予備作業服を着せてあげた。不動産屋の服や身体には腐敗液がベットリ着いて、とっさに遺体を押し退けた手は、それこそ腐乱死体の手のように汚れていた。

近隣の人も集まってきて、大騒ぎになった。
そのうちやって来た警察に、その場はバトンタッチして一時退散。

「もし開錠を自分がやっていたら・・・」と思うと・・・たまらん!
よく「虫の知らせ」と言うが、ウジの知らせで助かった!私であった。



ウジさん、いつもアナタを虐めている私を助けてくれて、どうもありがとう!




遺体痛い?
2006/6/20




世間には、色々な事情から解剖を受けざるを得ない遺体がある。それなりの必要性があってのこととは言え、解剖遺体には痛々しさを感じる。解剖を担当する医師も、生きている人の手術とは違うので、作業の丁寧度はあきらかに違うのだろう。


少しでも見識を深めるため、私は、以前、某所で検死解剖を見学したことがある。川で水死した老人の遺体だった。
事故か自殺か、はたまた他殺かを調べるために解剖へ回されてきたのだろう、警察の寝台車輌に乗せられてきた。

私は、解剖作業をガラス越に見学するのだが、その作業は、とても見るに耐えなかった。遺体に対する尊厳の「そ」の字も、思いやりの「お」の字も一切感じなかったのである。

その医師はまるで魚をさばくかのように、はたまた大工仕事をするかのように、遺体の解剖作業を乱雑!に進めていったのである(「魚屋さんや大工さんが乱雑な仕事をする」と言っているのではなく比喩論として)。

更に、その医師は、私が羨望の眼差しで見ていると勘違いしたのだろうか、手際と度胸がいいところを見せてやろうと思ったのか、私の視線を意識して余計に調子に乗って悪さをしているように見えた。
乱暴極まりない動きで、色んな臓器を乱暴に取り出しては、助手が重さを測って写真撮影。

頭を開けるときも頭を解剖台にガンガン打ち付けながらメリメリと無理やり頭皮を剥がしたかと思うと、おもむろに電気ノコギリで頭蓋骨を切開。脳も乱暴に取り出して助手が同様の作業。

最期は取り出した脳も臓器類をメスで細かく切り刻んで腹部へ収納(細かく切り刻まないと、きれいに収まりきらないので)。そして、荒く縫合して解剖は終了(ちなみに、その老人は入水自殺ということになった)。
最後に、助手がまるで車でも洗うかのように、ホースから遺体へ水をバシャバシャかけて血を洗い流して終了。


もともと、解剖遺体の縫い目はかなり粗い!頭皮・頭髪・皮膚もザックリと大きく縫い込んである。医師と言えども解剖は仕事であり、労働者であることに違いはない。死んだモノにいちいち丁寧な作業はやってられないのだろう。

ある解剖遺体などは、荒い縫い目から新聞紙がハミ出ていたこともある。内臓を取り出したら腹が凹み過ぎたため、代わりに新聞紙を入れたのだろう。ちなみに、取り出した内臓類はビニール袋に入れて遺体の脇に置かれていた。

万が一にも、身内の誰かが解剖されているところをマジックミラーか何かを通して家族が見ることができたら、その場で気を失うか、激怒するケースが少なくないのではないかと思う。


その後、その医師と面談する機会があったのだが、特殊清掃現場とは違う意味で吐き気がした。彼は経済力・社会的地位は私とは比べ物にならないくらい高いけど、人格は最低だと思った。

俗に、

「先生と呼ばれる職業に就く人間にろくなヤツはいない」

という話を聞くが、こんな医師は一部であって、医師免許を持つほとんどの人間が相応の人格と誠実さを兼ね備えた人間であることを信じたいものである。


どちらにしろ、腐乱死体で発見されるのもイヤだけど、死んでも解剖はされたくないと、つくづく思った日であった。




おしどり夫婦
2006/6/19




今回は、特殊清掃というより、遺体処置の話である。

現場(自宅)に行くと、なんと遺体が二体ある。二人ともかなりの高齢で、入院先の病院でほとんど同時に亡くなったとのこと。

かなり珍しいケースで、遺族も悲しんでいるというより、微笑ましく思っているような感じだった。そういう私自身も、何とも言えない温かい気持ちを覚えた。

生前の二人がどんな夫婦だったか知る由もないが、喜怒哀楽・羽陽曲折・七転八起、楽しかったことも嬉しかったことも、苦しかったことも辛かったことも、みんな二人で受け止めて二人で歩いてきた人生だったに違いない。そして、最期も二人仲良く一緒に。

そう思うと、

「お疲れ様でした」

という気持ちが自然にでてきた。印象に残る現場だった。



もう一つ夫婦の話。
中年夫婦が自殺した。年老いた母親と成人した娘達を残して。
目立った外傷は見えなかったので、

「練炭自殺か?服毒か?」

と思いながら、遺体を柩に納めた。遺族は皆号泣。皆が泣きながら、二人の亡骸に思い思いのことを言っている。

遺族は、悔しくて悲しくて仕方がないのだ。
何度経験しても、ホント、こういう場はいたたまれない。

自殺ネタは何度かブログに書いているが、夫婦で一緒に死ぬケースはなかなか珍しい(表現が不適切だったら御容赦)。
一緒に死ぬくらい仲がいいとは、羨ましいような羨ましくないような、複雑な心境だった。

どうしても、自殺理由を想像してしまう。

「家も家族もごく普通だし、金銭トラブル(借金)かなぁ・・・最近、多いらしいし」

等と考えながら、作業を進めた。


ちなみに、少しして、レンタカーを使っての練炭自殺であることが分かった。レンタカー会社の人によると、自殺に使われた車はどんなに汚れてなくても、どんなに新しくても廃車にするとのこと。もったいない。
でも、世に中には裏があるのが常。特選中古車として、どこかの中古車屋に並んでたりして。



何はともあれ、配偶者をお持ちの方、お互いに思いやりを持ってお互いを大切に。一緒に居られる時間は限られているから(思っているほど長くはないかもしれないよ)。




K1グランプリ
2006/6/18




世に中には色々な仕事・職業がある。

ひと昔、「3K」という言葉が流行ったことがある。いわゆる、

「キツイ!汚い!危険!」

というヤツだ。そういう仕事は嫌悪されてきたし、今もそうであろう。
では、私の仕事はどうか。
ちょっと考えてみたら、3Kどころじゃなかった。

「キツイ!汚い!危険!」+臭い!怖い!怪異!苛酷!気色悪い!気持ち悪い!気味悪い!下流!苦しい!過激!奇怪!腐る!暗い!嫌悪!等など・・・色々挙がってきた。一体、何Kあるんだろう。

これで戦ったら、私も武蔵や魔沙斗に勝てるかも?その前に、彼等はこの汚染リングに上がる前に視覚と嗅覚をやられてノックダウン?どんなに強く腹を打たれても吐いたりしない彼等だろうけど、この汚染リングでは、リングサイドで早々と嘔吐。


作業中、こんなくだらないことを考えながら結構明るくやっているのである。一人でニヤニヤしながら仕事をしている姿を人に見られると、

「こいつ、ヤバそうな奴だな・・・」

と思われてしまうので、笑うのはあくまで一人の場で。


私は、こんな仕事だからこそ、明るさと元気さと、自分の気持ちに正直であることが必要だと思っている。

「自分の気持ちに正直」

とは、あくまで仕事上のことを指してのことだが、自分の心情・喜怒哀楽を言葉や態度に素直に出して心のガス抜きをするということ(他人に無礼な態度をとることとは違う)。変に我慢すると、余計に作業が辛くなるばかり。


どんなに臭くても、どんなに汚くても、どんなにバカにされても、明るく元気にやろうと格闘している日々である・・・人生のチャンピオンになれるまで。




寝込んだネコ
2006/6/17




若い男性から問い合わせの電話が入った。

消毒消臭作業の依頼だった。話を聞いてみると、お気に入りの自家用車のエンジンルームにネコが入り込み、そのまま死んで腐っていたらしい。それが臭くて臭くて仕方がないとのこと。特に、エアコンを動かしたら、通風口から悪臭がモロにでてきて、それが原因で彼女とも険悪な状態になっているから何とかしてほしいとのこと。

「ちょっと、やっかいな仕事になりそうだな」

と思いながら、とにかく現場へ行ってみた。


男性は車好きらしく、車は格好よくドレスアップされたスポーツカーだった。ボンネットを開けてみると、確かに骨と毛皮だけになったネコの死骸があった。屋外だったこともあり、私にとって本件の異臭は人間の腐乱臭に比べたら全く平気なレベル。
仕事の難易度を考えると、引き受けるかどうか迷った。

男性も、インターネットを使って色々な業者に当たったらしかったが、実際に相談に乗って現場に参上したのは私だけだったらしく、懇願モードだった。
事情を察して、

「完全にきれいにできる保証はできないが、できるかぎりやる」

という条件で引き受けた。通常は前受けする料金も、私の提案で出来高の後払いで合意。


エンジンルームは色々な機械が入り組んでいて、死骸も部分的に少しづつ取っていくしかなかった。脚だけ、尻尾だけ、胴体一部だけ・・・と少しづつ。人間の腐乱遺体とは別の感覚で気持ち悪かった。手袋を通して伝わる死骸の感触は、何とも言えないものがあった。特に、ネコって怪談話にもよく登場するし、その気持ち悪さがお分かりいただけるだろうか。眼球がない頭部を首からちぎって取るときは、さすがに鳥肌が立った。それでも、手が届く所はまだマシで、手が届かないところは色々な道具を駆使してなんとか全身を除去。

次は、腐敗液の除去である。動物も人間と同じように腐敗液がでるもので、エンジンルームの各所に垂れていた。これが、更にやっかいだった。手が届かないどころか、直視できないところにも付着している可能性があったからだ。

車のエンジンルームは水気を嫌う部品もあるので、慎重に洗浄剤・消臭剤を使用。あとは、もう車の下に潜って作業するしかなかった。これが最悪!洗浄剤も腐敗液も引力に従って下に垂れてくる。下に垂れるということは、私に向かって垂れ落ちてくるということである。それでも、きれいにするにはそうするしかなかった。

「顔にかかんなきゃいいや」

と、私は、開き直りながらやったが、結局、顔にもかかってしまった。辛かった!


作業を見ていた男性は

「スイマセン、スイマセン」

と何度も言っていた。


どうにかこうにか、作業は完了。見た目にはきれいになった。
あとはエンジンをかけて不具合がないか、エアコンを動かして悪臭が出ないかをチェック。
エンジンルームに不具合はなかったものの、悪臭はまだわずかに残っていた。車を動かす時は、常に通風スイッチをONにしてしばらく様子をみてもらうことにした。それでも男性はかなり喜んでくれて、満額の料金を領収。


一ヶ月くらいして、臭いがどうなったか気になったので男性に電話してみた。やはり、時間経過とともに臭いが薄くなり、今は全く臭わなくなったとにこと。あらためて礼を言われた。私にも職人魂があるのか、嬉しかった。
険悪になっていた彼女とは別れたらしく、今は新しい彼女がいるとのこと。

車は乗り換えずに、女を乗り換えたということか。
めでたし、めでたし。




Thanks
2006/6/16




このブログを書き始めて一ヶ月が経った。書き始めた動機は同僚の提案である。私は、この特殊な仕事を人知れず黙々とやってきたし、これからもそうやっていくつもりでいた。

その同僚は、せっかく(?)こんな珍しい仕事をやっている私が持つ経験や考えを世間にアウトプットしていくことで、何かメリットが得られると考えたのだろうか。

現場業務で手一杯の私は余計な仕事が増えるので、正直言うと嫌だったのだが、あまりにアナログ人間過ぎて時代に取り残されているような危機感も持っていたので、とりあえず書き始めることにした。

拙く幼稚な文章かもしれないし、思いをうまく表現できていないかもしれない。
しかし、そんな私のブロクを見ず知らずの方々が読んでくれ、感想・意見・疑問などを書き込んでくれているのに驚いている。

私は、ブログを書くばかりで、肝心の掲載ホームページはほとんど見ていない。いや、正確にいうと見ているヒマがないのである。
反響などは、その同僚が伝えてくれているのである。
最初は、

「仮に読者からの反応があったとしても誹謗中傷的なものがほとんど」「野次馬的な嫌がらせが多い」

等とかなり悲観的・否定的に考えていた。

それには理由がある。


特殊清掃という仕事は、一般的には蔑まれ・嫌悪され・奇異に思われる仕事だからである。実際にも、依頼者(遺族)から

「よくこんな仕事できるよなぁ」

的な軽蔑発言を受けたことが何度もある。もちろん、その人達は私には聞こえないつもりで話しているのだが、バッチリ聞こえてしまっている。

また、言葉ではなくても、その態度で明らかに見下されてバカにされていると感じることも多いのも実情。経験の浅い頃は、そういう事にいちいち引っ掛かって気落ちしていたが、今はそんな程度のことは気にならない。
決して開き直っている訳ではなく、そういう事実は事実として素直に受け入れているのである。

したがって、

「このブログには読者が付かないか、読者が付いて反応があったとしても、誹謗中傷的なものがほとんどだろう」

と悲観的に考えていたのである。


しかし、実際は違った。
意外や意外、激励や肯定的な書き込みがほとんどで、驚きと同時にとても嬉しかった。

正直言うと、自分の職業に後悔がないわけでもない。二度とない人生で、よりによってこんな仕事をしているのだから。


ちなみに、私が幼い頃、初めて「なりたい」と思った職業はプロ野球選手である。
遠い昔に描いていた夢と今の現実を対比すると、自分でも笑うしかない。
世の中には色々な仕事があるし、若いうちはわざわざこんな仕事を選ばなくてもよかったのである。しかし、若かった私は死体業を自ら選び、極めつつある?のである。これも、私の人生の運命(さだめ)なのか・・・(苦笑)。

ブログというものは返信するのが礼儀らしいが、アナログ人間の私はそんなことも知らない。同僚からは、

「書き込んでくれた人に返事を書いた方がいい」

と言われるが、私にはその時間がない。

ついては、この場をかりて、私のブログへの書き込みをしてくれた方々、特に私の仕事へ励ましや肯定的な意見を寄せてくれた方々に感謝の気持ちを伝えたい。本来なら、一人一人に返事を書きたいところだが、私の本来の仕事は特殊清掃であるので、ブログに優先して時間を使えない事情も察してもらいながら、気が向いたら、
今後も継続して購読・書き込みをお願いしたい。

また、疑問や質問的な書き込みに対しては、リアルタイム・個別にお応えすることができないので、ブログを通してお応えしていこうと考えている。ついては、お尋ねの件は少し気長にお待ちいただけるとありがたい。


何はともあれ、見ず知らずの皆さん、どうもありがとう。皆さんの励ましにの力をもらって、今日も私は特殊清掃の現場で戦い続ける。




臭いなぁ
2006/6/15




「腐乱死体の匂いって、例えて言うとどんな臭い?」

と尋ねられることがある。返事に困る。何故なら、何にも例えられない臭いだからである。そもそも、臭いだけじゃなく、音・味・色など、五感で受けるものを代替的に表現し伝えるのは難しい。特に腐乱死体の臭いなんて、世間一般に似たような匂いがないからなお更である。とにかく、腐乱死体は臭い!としか言えない。

腐乱死体の臭いに興味のある人は割と多く居そうだが、どんな臭いなのか具体的に伝えられなくて残念だ(申し訳ない)。ちなみに、ウ○コや腐敗ゴミどころのレベルじゃないんで。
多分、代替物をもって腐乱死体の臭いを作ることも無理だと思う(やってみる意味もないが)。自分で試作して「こんな臭いでどうか?」とくれぐれも送って来ないように。


ちなみに、遺体からの臭いには死臭というものもある。私は死臭・腐敗臭・腐乱臭をレベル毎に分けて捉えている。通常の遺体は死臭がする。これも独特の臭いだが、我慢できないレベルではない(スタッフの中には死臭好きもいる)。腐敗臭はだいぶ悪臭なので、我慢できない人が大半であろう。腐乱臭ともなると、ほとんどの人がノックダウンだ。吐く人もいるかもしれない。

私の場合は、嗚咽は日常茶飯事で喉まで上がってきたことは何度かあるが、口から外へ吐いたことは一度もない。もともとこの仕事に向いていたのだろうか?

やはり、私には、慣れと防臭マスクが一番の防御となっている。防臭マスクといっても、消防や警察が使っているような高価で高品質のマスクではないので、着けてないよりはマシという程度のものである。

昔の友人に、

「トイレでウ○コをする時は口で息をすればいい」

という奴がいた。鼻に臭いを感じさせない工夫なのだろうが、どうも納得できない。特に特殊清掃の現場では、とても口で息をする気にはなれない。科学的な根拠はないけど、身体にスゴク悪いような気がするから。この気持ち分かるかな?分かるでしょ?


口で息をするくらいなら、鼻が壊れてもいいから鼻で息をしたい。これからも。




自死の選択
2006/6/14




ここ数年、日本人の自殺者数は高いままである。私のような職業ではない人でも知っている、目新しくもないニュースである。インターネットの自殺サイトも活発に動いているようである。

今日も日本のあちこちで、約100人が自らの命を絶っている。
ブログにも一案件だけ載せたが、当社にも自殺志願者が電話をしてくることがたまにある。もちろん、自殺現場の跡片付けをしたことも数知れず。

自殺理由はさまざまだろうし、それぞれの人にそれぞれの事情があるのだろう。

「自分の命は自分のものか?」

などと言う哲学的・宗教的な話は別に置いておいて、毎日のように死体と関わっている私が自殺について思うことを簡単に書いてみたい。


人間は死にたくなくてもいつかは死ななければならない。人生は二度ないし、人生という時間には必ず終わりがある。一旦生まれてからは、あとは死に向かって進んでいるだけである。そんなことは私が言うまでもない。

死にたい人は死ねばいい。生きていたくない理由があるのだろうから。自殺は悪いことではない。世の中には、自殺志願者の悩みや苦しみを理解できない者が、上っ面の同情心やきれい事で自殺を否定し罪悪視する風潮があるが、そんなのは無責任な連中の身勝手である。
私は、自殺志願者の人生の一部にでも責任を持てる者だけが、その人の人生への介入が許されるものと考える。

しかし、これだけは言っておきたい。

「自分には死ぬ権利はあっても、他人に迷惑をかけたり他人を不幸にする権利はない!」と。

逆に言えば、自殺しようとする人は、誰にも迷惑をかけず、誰も不幸にしない手段や時期を熟考して、それが実現できるように死ねばいい。

私が知る限りでは、自殺はどんなかたちであれ、他人に多大な迷惑をかけ他人を不幸にしている。私だって、自然死と自殺の現場では気持悪さが違う。

結局のところ、私も自殺を否定・反対しているように思われるかもしれないが、決してそうではない。私は自殺を肯定も反対もしない。自殺現場の跡片付けをしている私だからこそ言える感想を記したまで。

私は自殺現場の後始末も仕事として多くやっているが、仮に自殺者がゼロになったって心配無用。おまんま(御飯)が食えなくなることはない。日本(特に都市部)では自殺がなくなっても孤独死の現場だけで充分仕事になるから。


今日のブログは硬い話でつまらないかもしれないが、自殺を考えている人・生きていることに疲れている人の参考になれば幸い。自殺の跡は悲惨!だぞー。




骨を折るなぁ
2006/6/13




特殊清掃をやっていると、小骨がでてくることがよくある。小骨と言えば魚を食べるときのことを思いだすが、ここでいう小骨は人骨である。手足の指の骨は小さくて目立ちにくく、忙しい警察も拾い損ねることが多いのだろう。それ以前に、警察官も「いちいち拾ってられるか!」と言う心境だろう。
特殊清掃をやる中では人体の色んなモノがある。頭髪はほとんどの現場にある。余談になるが、一般的にも髪の毛って、結構気持ち悪い感じを与えるものではないだろうか。
今回のモノは人骨である。
作業中にでてくる骨は、一応、拾い分けて保管するようにしている。このブログを何度か読んでくれた方は既にお分かりだろうが、骨と言っても白くてきれいな骨ではない。腐乱液や腐敗肉片が着いたスゴク汚く臭い代物である。
当然、拾った骨は遺族に返す。
困るのは遺族が欲しがらないケースである。少しでも返しやすくするため、できる限りきれいにした状態にする。ひとつひとつを磨いていく作業は、特殊清掃料金には含まれない個人的なボランティアである。そのうえで、遺族を説得する。
当社でやっている遺品供養の話を交えながら、「このまま放置して、何か起こっても責任持てませんよ・・・」と意味深なことを言うと、引き取ってくれる。
面倒臭い作業なので、気づかなければゴミと一緒にして処分するところだが、遺骨と気づいていながらゴミ扱いするのは良心が咎めるので、結局、拾ってしまう私である。

骨ついでの話で、別の家での出来事。
故人を棺に納める際、故人が生前好きだったケンタッキーフライドチキンを棺に入れてやるかどうかで遺族が揉めだした。
「本人の大好物だったんだから入れてやりたい」という人もいれば「火葬したら遺骨とチキンの骨が混ざるからダメ」という人もいて、収拾がつかなかった。
遺族は真面目に議論しているのだが、正直、聞いていて可笑しかった。
結局、私にアドバイスを求めてきた。
冷静に考えれば、チキンの骨なんかは燃えてなくなるはずなのだが、こういった場面では両方の顔を立てる必要があるため、「ご本人も、いくら好物でも骨までは食べてなかったはず。だから骨を外して肉だけ入れてあげたらどうか。」とアドバイス。
この程度のことが「グッドアイデア!」と言うことになり、全員合意でそうすることになった。すごく感謝されたのだが、バカバカしく思えて仕方がなかった。




血の海と家族
2006/6/12




マンションの一室、和室で中年女性が手首を切って自殺した。同居の夫や子供達がいる家だった。依頼者は故人の夫。

私が現場に着いた時はもう遺体はなく、血が4畳分くらいに広がっていた。よく「血の海」と言うが、まさにそんな感じ。部屋中に血生臭い匂いが充満していたし、視覚的にもかなりインパクトのある光景だった。特殊清掃をやっていても、血の海状態の現場は少ない。

「人間の身体って、こんなに血が入ってんだぁ・・・」と妙に感心するくらいだった。

とりあえず、作業料金の見積書を書いて御主人と話した。夫は予想外に平静で、子供達も普通に家の中を往来していた。とても妻・母が自殺したような動揺は家族には見えなかった。なんとも言えない妙な感じだった。
それどころか、夫は作業費用の見積りに対して、細かい質問を連発して値切ってきた。

私は、ビジネスライクな感覚は持ちつつも(仕事だから当然)人の不幸につけ込むような見積りはしないし、料金についての駆け引きもほとんどしないので、仕方なくわずかな値引きには応じたが、それでは満足できない夫は更に値引きを要求してきた。

雰囲気的には、リフォームや引越しの際の料金交渉をやっているようなノリで、違和感を覚えた。妻が自殺したばかりの和室は血の海になったままだというのに、そう高くもないお金のことばかりに気にしている夫って一体・・・。

私自身が苛立ちはじめ、

「値引きはできない」

「当社に発注しなくてもいい」旨を伝えた。


すると、ようやく夫も折れて、渋々注文書にサイン。
血液は畳や床板に染み込んで凝固する前に拭き取った方がいいので、イレギュラーだったが、血の拭き取り作業だけはその場で急いで取り掛かった。全部の血を拭き取るのに、相当量の吸水紙を使った。そして、翌日、畳を撤去。周りの住民に配慮する必要もあり、一枚一枚を不透明のシートに包んで搬出。最後に除菌消臭剤を噴霧して作業を完了した。
別に、礼を言ってもらう必要もないが、夫も子供達も終始無愛想なままで、気分が浮かないままでの仕事となった。こういう仕事だからこそ、元気にやりたかったのに・・・。


自殺したのがどんな奥さんだったのかは知らないが、残された家族が手厚く供養してあげるよう願うしかなかった。





遺族の嘘
2006/6/11




遺品回収の依頼で見積りに出向いた。依頼者は中年女性。現場は公営団地。
「独り暮らしをしていた父親が亡くなったので、遺品を処分したい」とのことだった。


とりあえず、現場へ。亡くなった場所は病院とのこと。
しかし、部屋に入ったら、かすかに死体の腐敗臭がする。

「男の独り暮らしで不衛生な生活をしていたので、臭くてスイマセン・・・」

と依頼者は言うが、ゴミの臭いと死体の臭いくらいは嗅ぎ分けられる。
念のため言っておくが自慢してるわけじゃないんで。

「亡くなってから、そう時間が経っていないうちに発見されたせいで臭いが薄いだけ、間違いなく故人はここで死んでいる。依頼者が言うように病院で亡くなった訳ではない。」と確信。

見積金額を少しでも安くするためか、世間体が悪いからか、「病院で死去」とウソをついているようだった。


私は自信たっぷりに

「失礼ですが、故人はここで亡くなってますよね!?」

と依頼者に言ってみた。


私の強気でストレートな物腰に、「抵抗するとマズイ」と判断したのだろうか、依頼者は気まずそうにそれを認めた。そして、こういう仕事は依頼者との信頼関係が大事であることを説明して、大きなウソはつかないようにお願いした。

故人がどこで亡くなっていようが、気にすることはない。そんなことが気になるくらいなら、そもそも私はこんな仕事はしていない。そんな類のことを依頼者に話して、心の荷を軽くしてもらった。
雨降って地固まり、その後はお互い気持ちのいい関係で仕事をすることができた。


故人が生きていた物理的な形跡はなくなったが、故人は遺族の心の中に残り、私の仕事を通じて遺族が心の荷を降ろしてくれれば幸いである(きれいにまとめ過ぎ?)。




格差社会
2006/6/10




きれいに晴れ渡った青空が広がる気持ちのいいある日の午前。
現場は都内某所の高級住宅地。そこに建つ高級マンション。
そのマンションに住人達は、どの人も裕福そうで、私の単なる先入観かもしれないが、どことなく品の良さを感じる人達ばかりだった。駐車場の車も高級車ばかり。
それを当たり前のように乗っている。


依頼された仕事とは言え、私ごときが出入りするのも申し訳ないような気分がする程であった。

そのマンションの高層階の一室で独り暮らしの年配女性が腐乱状態で発見された。キッチンで倒れて、そのまま亡くなったらしい。
依頼者は、故人の息子。

「始めから、施行できる装備できてくれ」

とのことだったので、電話で聞いた現場状況から判断して、それに合わせた作業仕様で出向いた。

見積りのため部屋入ったら、いつもの悪臭はするものの、間取りは広々していて窓から見える景色もよく、置いてある物も高そうな物ばかりだった。

とりあえず、見積書を書いて、内容の説明に入ろうとしたら、依頼者は

「全てお任せしますから、そのまま作業に入って下さい」

と金額や作業内容を詳しく聞こうともしない。

「せめて料金だけでも了承もらわないと」

と金額を伝えたら、

「いくらかかってもいい」

「こんな仕事をお願いするのだから、高めにしても構いませんよ」

と寛容かつ丁寧な対応。好意に甘えて、少し高めに見積書を書き直して、作業を開始した。

「一体、どんな仕事をして、どのくらいの収入があればこんな高級マンションに住めるのだろうか・・・。」

と羨ましいやら感心するやら。自分の暮らしとの格差に複雑な思いを抱えながら作業を進めて無事完了。

帰り際も、依頼者男性は

「ありがとうございました」

と丁寧に礼を言ってくれた。礼儀正しく、感じのいい依頼者だった。



・・・同じ日の午後、千葉県某所の市営団地で見積依頼があった。
大規模な老朽団地で、間取りも2DKと狭い。こちらは特殊清掃の依頼ではなく、遺品回収(ゴミ処分)の依頼(家主は病院で死去)。

部屋の中は汚れて散らかり、生活用品とゴミの区別がつかないくらいだった。
遺族は部屋にある物の買い取りを強く希望していたが、どれもこれも、とても買い取れるような価値がある物ではなく、買い取りは全て断った。

しかし、執拗に

「これはまだ使える。これはまだ新しい。これは欲しがる人がいるはず。」

等と言ってしつこかった。しかも、私を業者扱いして横柄な物言いで。

更に、実際の遺品回収費用を見積もったら、細かい値引き交渉に入ってきて、どうにも話が進まなかった。少々の値引きは仕方がないが、遺族の希望する価格と私の提示した料金にあまりに格差があったし、その態度も気に入らなかったので、その場は私の方から断って引き上げた。


問題発言に発展する前に締めるが、その日は一日のうちに午前と午後に分けて二軒の集合住宅に訪問し、二つの遺族と接した訳だが、この大きな格差に思うこと感じることが多い私であった。




ゴミがごみごみ
2006/6/9




ゴミ屋敷の話である。少し前に10chのある番組の企画で「汚宅拝見」というのをやっていたが、まさにそれである。
ゴミを「これでもか!」という程、溜め込んでいる人って結構いるものなのである。

普段は特殊清掃・遺品回収がメインの仕事だが、時々、ゴミ屋敷の片付依頼も入ってくる。
当社は、ただのゴミ処分業者ではないので、住人が亡くなっている上での遺品回収ということで依頼を受けるのだが、実際はゴミ屋敷の片付けである。

私はこういう仕事はかなり苦手である。地道に単調にコツコツやらなければならないことが苦手なのである。それが体力仕事だったらなお更で。同じやるなら特殊清掃の方がよっぽどいい。


ある程度分別してトラックに積み込んでいく。分別作業の手間のかかることといったら、そりゃ大変。そして、運び出しても運び出してもゴミは減らない。

最もやっかいなのは、遺族から「○○を探してほしい」と特定の物を探し出すことを頼まれたときである。例えば、印鑑・預金通帳・年金手帳・写真など。山のようなゴミの中からこんな小さな物を探し出すなんて、気が遠くなるような話である。それでも、やれるだけはやってみる。その代わり、値引きなしで遺族にも手伝ってもらう。

「貴重品につき、探し出せない場合でも責任はとれない」

と言えば、イヤイヤでも手伝う。


不衛生で細かい作業なので、やってるうちに遺族も嫌気がさしてきてイライラし始める。そのうち、探し物が「いる」「いらない」とか言って内輪揉めを始めることも少なくない。

それでも、まあまあの金額が残った預金通帳なんかがでてくると、急に元気になって仕事を再開。私も含めてだが、人間って本当に強欲で面白い生き物である。

とにかく、ゴミを溜める人には、本人にしか分からない趣向・感覚があるのだろうが、私には到底理解できない。
そんなことを言うと、

「そういう仕事をしているオマエの感覚の方がよっぽど理解できないよ!」

と言われそうだが(苦笑)。


ま、何はともあれ、ゴミ屋敷は遠い地の他人事と思ってたら大間違い。ひょっとしたら、貴方の隣家がゴミ屋敷になっている可能性があるかもよ。




宝探し競争
2006/6/8




腐乱死体で発見される故人は、やはり独居が多い。
前ブログにも載せたが、独居でない珍しいケースもあるが。

「お金持ち」とまではいかなくても、一般的には誰しもそれなりの御宝を持っているものである。生命保険証券・株券・預金通帳・現金をはじめ、新型のAV機器やブランド品などである。

普段は疎遠・不仲にしていた遺族達も、こうおう時はハイエナのように集まってきて、宝探しを始める。臭くて汚い現場でもお構いなし。ビニールの簡易カッパ・ビニール手袋・マスクを着用して、人よりも先に御宝を発見すべく、欲望を剥き出しに目の色を変えて探しまくるのである。

そうなれば、身内と言えども競争相手・ライバルである。さながら、死体に群がるハイエナのようである。遺族がハイエナなら、私はウジかもしれない?が・・・(苦笑)

その無神経さには、苛立ちを覚えるくらいである。でも、これが人間の悲しい性か。
可笑しいのは、せっかく発見した「御宝」が「汚宝」になってでてくることである。

例えば、高級ブランド品に腐敗液やウジがついていると、

内心「ざまぁ見ろ」と思ってしまう。

遺族は、そういう品物を私にきれいにして欲しそうにするが、

「壊したら責任とれないし、それは私の受けた仕事の範囲に入っていないから」

と断る。

「せっかく御宝を探しに来たんだから、汚宝でも喜んで持って行けよ!」

と思う。


生前は疎遠にしていながら、本人が死んでからそそくさとやって来て、御宝だけを頂戴して帰ろうなんて虫が良すぎる。
そういう人達は、欲が強いばかりか猜疑心も強くなっている。

「死んだ故人も悔しい思いをしているかもな」

と思いながら、私は私で特殊清掃の作業に励むのであるが、その私の動きにも注目してくる。


私は、故人の御宝を盗んだりはしないよ。汚い仕事はしていても、心までは汚したくないと思っているから。




独居男の悲哀
2006/6/7



若年から中年の孤独死も案外多いものである(自殺ではなく)。

そんな現場に共通して言えるのはエログッズの多さである。
エロ本・AV類が山ほどでてくる。普通は、古いものや見飽きたものは捨てていきそうなものだが、捨てるのが惜しいのか、そういう人はどんどん買い溜めていくのだろう。

男の本質と言ってしまえばそれまでだが、ほとんどの現場で、ちょっと異常な量がある。
その共通点は不思議である。

そんな現場で気の毒なのは遺族である。エログッズを溜め込んでいたのは故人で、遺族ではないのに、何故かどの遺族も

「お恥ずかしい・・・スイマセン。」

と謝ってくる。身内の恥は自分の恥だと思ってしまうのか。

別に謝るようなことでもないし、私も、謝られても何と言っていいか分からないので苦笑いするのみ。
フォローの言葉が見つからない。
そもそもエログッズを溜め込むことは悪事ではないので、謝る必要なんかないのだが。

それでも、遺族は恥ずかしい心情を抑えきれずに、理由もなく謝ってしまうのだろう。
そこが妙に可笑しい。

でも、本当に恥ずかしいのは、あの世に行った故人かもしれない。

「まさか自分の恥ずかしい趣味が他人に露呈してしまうとは・・・恥ずかしいッ!!」
と草葉の陰で赤面している?



独り暮らしの男性でエログッズがたくさんある方は、普段の健康管理に人一倍気をつけよう。腐乱死体で発見されるようなことがないように。




金がない
2006/6/6




特殊清掃は原則として前金制でやらせてもらっている。

こういう現場に絡んだ人達は「訳あり」の人が多く、その昔は代金を回収できないままトンズラされたことが何度かあったからだ。
こんな仕事をやらせておいてお金も払わずバックレルなんて、当時を思い出すと泣けてくる。

「人を騙すより騙される方がいい」

とよく耳にするが、そんなのきれい事だ。



世の中には、騙してもいいような輩があちこちにいると思う(騙された私もそんな輩の一人だったのかも?)。


そんな現在の私でも情がないわけではない。
お金がないから後払い・分割払いを依頼してくる相手(依頼者)はよく観察してよく話す。
長年、こんな仕事をやっているせいか、人間観察には少々の自信がある。
その結果、現状で言うと断ることの方が多い。しかし、受けることもある。


アパートで独り暮らしをしていた20代の娘が腐乱死体で発見された。
自殺ではなく自然死だったらしいが、例によって現場はヒドイ状況だった。

両親は、同じ県内に住んでおり、最初の一度、遺体発見の時だけ現場に行ったっきりで、「もう二度と行きたくない」とのこと。
かなりのショックを受けたらしく(当然か)、母親は寝込んでしまっているような状況だった。

特殊清掃の依頼は父親からの電話。
とりあえず、鍵は不動産屋から借りて現場へ。
見積書をFAXしてから、再び電話でやりとり。
プライベートなことまで突っ込んで話を聞き、偽装ファミリーではなさそうであることは確認。

でも、肝心の「お金がない」と言う。
「娘の生命保険金が入ったら、必ず払うから先に清掃をやって下さい」と懇願された。

大家や不動産屋から「早くきれいにしろ!」とクレームをつけられているらしく、父親は困りきっていた。
生命保険となると一ヶ月以上は後になる。
過去に、この類の同情を引く手口で騙されたことも思い出しながら苦慮した。

結果、電話でしか話していない父親を信じて受けることにした。
父親の懐具合はどうあれ、若い娘を突然失って弱っている人を見捨てるわけにもいかなかったので(カッコいい?)、最悪は、代金が回収できないことも覚悟しておいた。若者の死は、それだけの思いを起させる何かがあるのだろうか。

結局、最初から最後まで依頼者と直接顔を合わせることがない、珍しいケースであった。



肝心の代金がどうなったか?
それは以降のブログに載せるかもしれないので、お楽しみに。




リサイクルの陰に
2006/6/5




当社は、遺体関係で色々なサービスや物品販売を手掛けている会社である。

私が担当する仕事のほとんどは特殊清掃だが、ただの遺品処理・遺品回収の仕事もたまにはある。

そこでよく遭遇するのが、リサイクル可能な電気製品・家具類の買い取りである。

当社も厳正に品定めをして、買い取れる物は買い取るが、私の買い取り基準はかなり辛い!一般のリサイクル業者なら安易に安値で買い取っていきそうなものでも、私は買わない。

その理由は色々あるが、まずは遺族が考えている程の価値がないものが圧倒的に多いこと、そして次はそれが「遺品である」ということである。妙ないわくがついた品である可能性が否定できないのである。

しかも、特殊清掃の現場で、遺族がリサイクル業者と電話で打ち合わせしている現場にも何度か遭遇したことがある。

そんな時は「これを売るつもりか?」と思う。

確かに、死体の腐敗液が直接付着している訳でもなく、ウジやハエは拭けばとれるもだが、これをリサイクル業者へ売ろうとするとは、良心の呵責はないのだろうか。

もちろん、品物は私きれいにしたうえで、遺族が別のところへ運んでからリサイクル業者へ引き渡すか、特殊清掃の完了後にリサイクル業者を呼んで見積りをさせるか、である。

百歩譲って、ただの遺品をリサイクルの回すのはよしとしても、腐乱現場にあった品物をリサイクル店に売るのは、好ましいとは思わない。



世の中には「知らぬが仏」ということがたくさんあり、それで世の中がうまく回っていることも承知しているが、リサイクル品を買うときは、くれぐれもご注意を。
その傍で、死体が腐っていたかもしれないからね。




アンビリーバボー!!!
2006/6/4




特殊清掃の最初の仕事は現場確認と費用見積である。
そこで初めて依頼者と会い、現場を見ることになる。
どんな現場でも、最初は使い捨てのビニール手袋(ディスポーサブルラテックスグローブ)を必ず着ける。
私はドアノブさえも素手では触らない。
そんな私を見て、自分はさんざん素手で触ってきた依頼者は不安そうな表情をする。

そして、ドアを開けて、すぐには中に入らずに、玄関からしばらく中を観察。
いきなり入ると、予測がつかない被害を被ることがあるからだ。
例えば、血液やウジが上から落ちてきたり、腐敗脂で滑って転んだり・・・。

中に入ると、まずは汚染個所の状況を確認する。それから間取りや家財道具の量・種類をみながら臭いをチェック(細かいことは企業秘密)。

問題は、汚染個所のチェックの際に起こった。手袋を着けているため、汚染されたものでも平気で触る。布団やカーペットをめくり上げたり、腐敗液のついた物品を動かしたり。

汚染部分のチェックは仕事の要なので、慎重かつ集中して行う。
汚染部分のチェックが終わると汚れた手袋を外すわけだが、そこでアンビリーバボー!な状況に気づいた。

なんと、手袋が破れていたのである!!!


手袋を外してみると・・・
案の上、手には腐敗液がシッカリ着いていた(ざんね〜んっ!)。

速攻で見積りを中断して、手を洗って消毒。

それでも、臭いがなかなかとれない。

こんな仕事を長年やってながらも、腐敗液が身体の直接付着してしまうのはかなりのイレギュラーなケースで、普段からそこはかなり注意している。

それなのに、本作業じゃない見積段階で腐敗液を着けてしまうとは、我ながら情けなく悲しかった。

とりあえず、見積りは無事に済んで現場は退散。
嗅ぎたくないのについつい何度も手の臭いを嗅いでしまい、溜息をつきながらブルーなき分で帰路についた私であった。




コタツぽかぽか
2006/6/3




冬場の話である。年配の女性がコタツに入ったまま亡くなった。もちろん、コタツのスイッチはONのまましばらく放置されていた。

遺体の上半身(コタツからでている部分)はパンパンに膨れあがり、顔も生前の面影は全くなし。体表には無数の水泡(火傷した時の水ぶくれに空気を入れたみたいなもの)。水泡の中は腐敗ガスと深緑色の腐敗体液が溜まっていた。
下半身は?というと、コタツに入っていたせいで、上半身とは逆に干乾びて茶黒黒色のミイラ状態になっていた。冬は気温も低く空気も乾燥しているため、そのような状態になったと思われるが、勉強になった。
腐敗液はコタツ敷を越えて、その下の畳にまで染み込んでいた。
季節柄か、私の天敵であるウジ・ハエの姿はなかった。彼等は結構寒がりなのかもしれない。
故人の首を見ると、何かが首回り一周に渡って食い込んでいる。紐か何かが巻きついている?自殺か?と思っていたが、そんなのは警察が調査済みなので、私は詮索することではない。
でも、何が巻きついているのか気になったので、膨れ上がった首の肉を寄せて奥を見てみた。すると、その正体はネックレスだった。生前は胸元に垂れるくらいの長さだったはずのネックレスが首に食い込むくらいに首回りが腐敗膨張したのである。
遺体が腐っていく段階で、身体がどれだけ膨れ上がるものか、この話で具体的にお分かりいただけると思う。
ちなみに、ネックレスで首を締められているようで、なんだか気の毒な感じがして、そのネックレスは外してあげた。
それから、その部屋を特殊清掃したことは言うまでもないが、世の中にはコタツが火事の原因になることだってあるらしい。この現場は、火事にならなかっただけでも不幸中の幸いかもしれない。




嫌な見積予約
2006/6/2




当社は、24時間365日、電話受付をしている。仕事の問い合わせ・依頼がほとんどで、あとはどうでもいい営業電話だったりする。そんな中で、たまに自殺志願者が電話をしてくることがある。
ある日の夜遅い時間に、年齢不詳・女性からの電話が鳴った。「飛び降り自殺の現場の清掃はいくらくらいかかりますか?」
話の内容から、てっきり特殊清掃の「見積依頼だな」と思った・・・が、違っていた。
「現場によって作業内容や費用は異なるので、実際に現場を見させていただかないと金額はだせないんですよ。」と、いつもの応え。
現場の場所や状況を質問したところから話が変わってきた。
「実は、これから飛ぶところなんです。」とその女性。「えッ?」」と絶句する私。
本音を言うと「嫌な電話にでてしまったなぁ」と後悔した。
無責任に「自殺はやめた方がいい」と言うのは簡単だが、本人にしても、死体業を長くやっている私にとっても自殺を考えることはそんな単純なものではない。決してきれい事や上っ面の同情心、ましてや自殺志願者を救済したなどという美談なんかじゃ片付かない複雑で深刻な問題なのである。特に、本人にとっては。
でも、関わってしまった以上は、自殺はしてほしくないと思った。
同時に、「彼女の人生に無責任に立ち入ることが正しいことか?」という疑問も持った。
でも、ことは急がなければならない。
きれい事は抜きにして、「とりあえず、飛び降り自殺や電車への飛込みはやめた方がいい」「その死に方は現場も悲惨だし、残された遺族や他人様に多大な迷惑をかけることになる」とアドバイスになっているようななっていないような話をした。
もちろん、机上論ではなく、そんな現場の後片付けをしてきた自分の経験を踏まえて話したから、少しは説得力はあったと思う。
その後も色々な話をしたが、社会には私の仕事を蔑んでいる人も多いけど、それに耐えながらも開き直って生きている自分の話をしたりして、何とかその場は思い留まらせた。
その後、彼女がどうなったかは知らない。知りたいような知りたくないような心持ちである。
少なくとも、生きていてほしい。それは彼女のためじゃなく、そんな相談を受けざるを得なかった私のために。




だいぶダイブ
2006/6/1




死体がらみのダイブと聞いて一番に思いつくのは、やはり飛び降り自殺だろう。飛び降りる高さや落下した場所によって、遺体の状態や現場の状況は千差万別。
やはり、高ければ高いほど遺体の損傷は激しいし、落下現場の汚染度も激しい。
人体の部位で最も重いのは頭らしく、ある程度の高さから落下すると、モロに頭から落ちるらしい。
汚染度の激しい現場の清掃は、手間がかかって仕方がない。なにせ、血液や肉片はあちらこちら広範囲に飛び散って、それを掃除するのが大変だからである。
激しい現場だと、地面に落ちた遺体の血液・肉片が三階まで飛び散って付着していたケースもある。しかも、血液や肉片は一度乾いてしまうとなかなかきれいにならない。
一応企業秘密なので、使用する機材や薬剤は明記しないが、手間がかかることには間違いない。
でも、一番災難なのは、普通に暮らしていて、いきなり自殺体の血液や肉片が自宅の壁に着いてしまった住人だろう。気持ち悪くて仕方がないはずだ。気に毒である。
ある、青年が飛び降りたケースでは、比較的低いところから飛んだみたいで、頭部の損傷と腕の骨折だけで済んでいた。
その代わりと言ってはなんだが、顔面が面白いほど真っ平らになっていて、頭頂部が割れて中身がでていた。顔面が見事に平らになっていたので、妙に感心してしまった(全く不謹慎だが)。
その青年の遺体と母親が初対面する場に居合わせたのだが、母親は死んだ息子の顔を見るなり卒倒して気絶してしまった。私はそっちの方にビックリしてオロオロしてしまったのであった。




プライバシーポリシーサイトマップ
Copyright(C)2003-2008 HUMAN CARE co,ltd.AllrightRserved.