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変身    2006.9.29
子供の頃、私の回りには多くの変身ヒーローがいた。
ウルトラマン・仮面ライダー・ゴレンジャー・キカイダーetc
ちょっとマイナーな者を含めると、もっとある。
ちなみに、私はそっち系のマニアではない。

彼等は、何故か窮地に陥るまでは変身しないで戦う。
そして、やっと変身したかと思うと、いきなりパワーアップ。
必殺技を繰り出して大逆転。
悪者を倒して一件落着。

毎回、「もっと早く変身すればいいのに」と思いながらも、お決まりのストーリーにのめり込む幼い私だった。

その他にも変身が得意(好き)な人達がいる。

「女性」だ。
女性は、持ち物や服装等によって見事に変身する。
その最たるものは化粧だろう。
全ての女性に当てはまる訳ではないだろうが、before.afterでは、とても同一人物とは思えないくらいの変身を遂げる人がいる。
自分の顔に化粧を施して変身するということは、ハイレベルな技術を要すると思われる。

また、凝り過ぎの化粧が、変身効果をマイナスに逆行させているような人もいる・・・汗をかいてパンダ顔になっている人とか。
・・・セクハラになるので、このネタはこの辺でやめておこう。

ま、女性の変身ぶりには感心するということだ。

まだ他にも、スゴイ変身ができるヤツがいる。
ウジ→ハエだ。

ある腐乱現場。
散らかった部屋の中央に、生々しい汚腐団があった。
「こりゃまたヒドイなぁ」
死体+布団+時間=汚腐団
なかなか完成度の高い汚腐団だった。

原則として、現場初見(見積)と特掃作業は別々の日に行うもの。
しかし、この現場では依頼者の強い希望で、汚腐団だけは直ちに梱包することになった。

汚腐団は、腐敗液で真っ黒に染まっていた。
敷布団をメインに、肌掛・毛布・掛布団まで汚染済み。
端を持ち上げただけで、布団とは思えないズッシリとした重量感。
目にも腕にも、腐敗液をタップリ吸っていることは明白だった。

当然、大小のウジがウヨウヨ。
無数のウジが、いくつかの大きな塊をつくっていた。
個々のウジを相手にしていてもラチがあかないので、私は、そのままの状態で汚腐団をクルクル巻き巻きして袋に入れた。
滴る腐敗液に「ヒェ〜ッ」、漂う腐敗臭に「オェ〜ッ」。
高濃度の腐敗ガス(メチャクチャ臭い!)を防ぐため、袋は完全密閉。
翌日の特掃作業で撤収するつもりで、その汚腐団袋は部屋の隅に置いておいた。

翌日の朝。
特掃の装備を携えた私は、現場に入った。
そして、前日に梱包しておいた汚腐団の袋を見て驚いた。
袋の内側を、無数のハエが黒く埋め尽くしていたのだ。

「お゛ーっ!なんだ?このハエはーっ!」
しばし頭が混乱。

昨日の時点では、袋の中にハエなんていなかった。
そして、完全密閉状態の袋には、外部からハエが進入できるはずもなかった。
しかも、現実には大量のハエが袋の中にいた。

前日、私が梱包した汚腐団には、大量のウジが暮らしていた。
そのウジ達が一晩でハエに羽化したのか・・・そうとしか考えようがなかった。

汚腐団の中は、ウジにとっては食べる物にも寝るところにも不自由しない快適な環境。
スクスクと成長したとしてもおかしくはない。

しかし、その成長スピードには目を見張るものがある。
前日の午後から当日の朝まで、24時間は経っていない。
正味、たった十数時間でウジは立派な?ハエに変身した訳だ。
んー、凄過ぎる!

ウジの変身パワーに、驚かされるばかりだった。
前段で女性の変身ネタを書いた。
では、男性はどうだろう。

自分より力のある人にはペコペコ、自分より弱い者には横柄に大威張り。
こんなのも、一種の変身かも。
TVヒーローや女性と違って、格好悪い変身だね。




遺志    2006.9.28
遺体処置と遺品処理の作業で、ある家に訪問した。

亡くなったのは高齢の女性。
行年は、平均寿命を越えていた。
安らかな表情、身体は小さくとても痩せていた。

遺族は、故人の着衣を着替えさせてほしいと要望してきた。

ちょっとしたコツはいるが、作業的には簡単なもの。
だだ・・・私は、死んでいようが高齢だろうが女性は女性として尊重する主義。
故人の羞恥心に配慮したい旨を伝えた上で、遺族の指示を仰いだ。

遺族は私の気持ちを理解してくれたものの、困った表情を見せた。
そして、「これが着せ替えてほしい着物なんですけど」と言って、古ぼけた箱を私に手渡した。

それを受け取った私は、神妙な気持ちになった。

箱の蓋に「死んだら着せて下さい」と書いたメモが貼ってあったのだ。
何かのチラシの裏に書かれた文字は、生前の故人が書いたものだった。

女性の気丈さに感心と切なさを覚えた私。
「これは・・・着せ替えない訳にはいきませんね・・・」
「私が来たのも何かの縁でしょうから、できるかぎり配慮して着せ替えをさせていただきます」

私は、箱を開けて中の着物を取り出した。
中身は木綿の死装束だった。
故人の手作りらしく、お世辞にも立派とは言えない品物。
しかも、だいぶ以前に作っておいたのだろう、全体的に古く黄ばんでいた。

幸い、故人の身体は小さく痩せていたし死後硬直も軽かったので、肌を露にすることなくスムーズに着せ替えることができた。

故人の希望を叶えることができて、遺族も安心したようだった。
その後、厳粛ながらも和やかな雰囲気で納棺を滞りなく済ませた。

次に、私は遺品回収作業にとりかかった。
荷物はきれいに整理整頓されており、タンスも押入もキチンと整えられていた。
その様相からは、故人の几帳面な人柄がうかがえた。

私は、遺品の一つ一つを手に取りながら見分を始めた。
すると、ちょっと困ったことが発生。
タンスの一段一段、収納箱の一つ一つに例の遺言メモが貼ってあったのだ。

「○○に使う」「○○で使う」「○○にあげる」etc。
「不要品」「捨てる」といった類のメモは一切なく、全て再利用するのが当然といった感じだった。

遺品処理・遺品回収を平たく言うと、「廃品回収・不用品処理」だ。
しかし、故人にとって残した遺品は、廃品・不用品ではないのだろう。

これには遺族も困っていた。
「○○にあげる」とされる品物は、実際の○○さん達は欲しくない不要なモノ。
故人の想いに反して、荷物のほとんどが、そんな様なモノだった。

「んー、困った」
処分するしかない荷物。
しかし、故人の遺志を無視するのも偲びない。

例によって、私は勝手な思いを巡らせた。

「故人は、残される人達になるべく迷惑をかけないように逝きたかったのではないだろうか」
「遺族に負担をかけるくらいなら、遺品を処分しても許してくれるのではないだろうか」
「故人の思いを真摯に受け止め、できるだけ使えるモノを探して、それでも残ったモノは処分しよう」

その考えを遺族に伝えたら、そうすることになった。
そして、遺族に遺品を選別してもらった。
その間、私は部屋を出て待っていた。

部屋から聞こえる話し声から、故人の思い出話に花が咲いていることが分かった。
部屋には、故人を納めた柩もあったので、故人に話し掛けるような声も聞こえてきた。
笑い声もあり、和やかなものだった。

結局、少しの遺品を残して、大部分が不用品になってしまった。
遺族も故人に申し訳なさそうにしていたが、仕方がなかった。

人に寿命があるように、モノにも寿命があると思う。
モノが溢れる昨今は、寿命をまっとうする前に用無しにされるモノが多い。
しかし、故人が残した遺品はどれも平均寿命を越えているように思えた。

遺族達は、柩の窓から見える安らかな寝顔の故人に、「おはあちゃん、ありがとう」「おはあちゃん、ごめんね」と声を掛けていた。

上の方から、「気にしなくていいよ」と言う声が聞こえてきそうな温かい雰囲気だった。




デストロイヤー    2006.9.27
「デストロイヤー」と聞いて何を思い浮かべるだろう。
私は、プロレスラー。
白いマスクをした謎の覆面レスラーだった。
・・・もう30年も前、懐かしい昔のことだ。

世の中には、今でも色々なデストロイヤーがいる。

特掃の依頼が入った。
現場はマンションのベランダ。
ベランダと言うより、ルーフバルコニーと言った感じの、広めのスペースだった。

そこには、大量の血痕が広がっており、茶色く乾いていた。

屋上から人が転落してきたらしい。
血痕の広さから、転落した本人は死んだものと思ったが、重傷は負ったものの一命は取り留めていた。

自殺を図って屋上から飛び降りたのだが、高幸か不幸か、その家のベランダに引っ掛かったらしい。

驚いたのは家の人(依頼者一家)。
ベランダから大きな衝撃音が聞こえたかと思ったら、人間が倒れていた・・・しかも、周囲は血まみれで。
それから、救急車が駆けつけたりして、大騒ぎになったらしい。

私が行ったとき、その家は既に空家になっていた。
依頼者一家は、まだ住宅ローンがタップリ残っているのに、「気持ち悪くて住めない」と、出て行ったらしい。
「とても、悲しくて寂しかった」とのこと。

すこし前まで、依頼者一家は古くて狭い公営団地で暮らしていた。
そして、夫婦でコツコツ貯めたお金を頭金に、夢のマンションを購入。
依頼者は、自分も嬉しかったが、妻子の喜ぶ姿が何よりも嬉しかったそう。
平凡でも、平穏な暮らしだった。
しかし、その生活を奪う人間が現れたのであった。

この件は、賠償問題に発展しそうだった。
そして、多分揉めることになるのだろう。
残念ながら、結果的に泣きを見るのは依頼者の方。
仮に、賠償金がとれたとしても、住宅ローン(売却損)・改修費用・引越費用・新生活の経費を満額補填できる金額にはならないはず。

日常生活はもちろん、経済的に受けるダメージも大きい。
平和な家族の暮らしが、一人の人間の勝手な行動によって、いきなり破壊された訳だ。
もう、それは取り返しがつかない。

不幸中の幸いだったのは、飛び降りた人が死ななかったこと。
第三者からすると、「死んだ」と「生きている」では印象がまるで違う。
将来、この部屋を売却するにしても賃貸にだすとしても、その生死は大きく影響してくるはず。

冷たいようだが、本人にとっては命が助かったことがよかったのかどうかは分からない。
ここまでいったら、助からない方がよかったかもしれないと思ってしまう。

どちらにしろ、迷惑をかける筋合いのない他人を不幸に陥れた責任は重い。

清掃作業自体は簡単なものだった。
血液の分解に効く洗剤を使って洗い流すのみ。
短時間で終了した。

作業終了に合わせて、依頼者に来てもらった。
そして、清掃後のベランダを確認してもらった。

依頼者は、いきなり襲ってきた災難に対する怒りと悲しみをどこに持って行けばいいのか分からないみたいだった。

この自殺未遂者に同情する気持ちなんてなく、怒り心頭の様子。
当然と言えば当然の感情だ。

「俺達の生活をブチ壊しにしやがって!」
「病室に殴りこんでやりたい!」
「自殺するくらいなら俺が殺してやる!」
「本人の生死なんて俺の知ったことではない」
「償いのために苦しんで生きるべきだ!」

私に愚痴ることで、少しでも欝憤が晴ればいいので、私は頷きながら黙って聞いていた。

「でも、本人は死ななくてよかったですね・・・色んな意味で」
と、私。

自殺は、自分の人生を破壊するだけでは終わらない。
他人をも巻き込んで、その人生を破壊していくところに、本当の恐さがある。




昨日は夢、明日は希望    2006.9.26
我々は多くの糧を得て命を保っている。
そして、糧を失った時に、または失いそうになった時に不安に襲われ、落ち込む。

糧には色んなものがある。
何も、お金や食べ物だけではない。
人と人との繋がりや関わり、人間関係も大事な糧の一つ。
あと・・・夢や希望もね。

「人間は社会的動物」と言われるように、人は一人では生きていけないのだろう。
生まれた時から回りに人がいる私は、厳密に一人きりになったことがない。
ま、この社会にいる限りは一人きりになるなんて不可能だろう。
しかし、妙な孤独感に苛まれている人や、「自分は孤独だ」と思っている人は多いのではないだろうか。

以前にも書いたように、私は死体業に就く前の半年間を実家の一室に引きこもって過ごした。
半年という時間は、引きこもりとしては短い方だったのだろうが、当時の私は完全に世間と人を嫌悪していた。
「怯えていた」と言ってもいいかもしれない。

誰とも会いたくなく、誰とも関わりたくなく、一人きりでいたかった。
学生時代の友人・知人はそれぞれの世界にあり、音沙汰のない私のことなんか気にも留めていなかったと思う。

私にとっては、夢も希望も笑顔もない半年だった。
「人生は疲れることばかり」
そう思っていた。

そんな私は、今でも「物理的にある程度満たされていれば、人間は一人でも生きていけるのではないだろうか」と思うことがある。
人間関係に疲れた時は特にそう。

ある人の仲介で、家財整理・廃棄の相談を受けた。
私は、とりあえず現場に出向いた。
老朽アパートの一室、部屋の主は初老の男性だった。
一人暮しの部屋は、かなり異様だった。
天気のいい昼間なのに、光がなかった。

男性が教えてくれた生活ぶりはこうだった。

昼間でも雨戸を閉めきり、外の天気や明るさとは無縁の生活。
外が明るいうちは外出することはなく、夜でも滅多に外に出ない。
風呂には入らず、時々、身体を清拭。
洗髪は、ポットの湯と洗面器を使って行う。
生活のパートナーは、もっぱらTV。
季節や時刻を知らせてくれるのもTVだけ。
人と関わることはほとんどない。

私は、ゴミ処分の見積りをするため、男性の要望を細かく尋ねた。
そんな会話の中で私が吐いた、「大変ですねぇ」というセリフに、男性は反応した。
そして、いきなり激怒し、私を怒鳴り散らし始めた。

「なんだ?この人は」
私は、驚いた。
そして、ムカついた。

私の吐いた同情めいた言葉が、気位の高い男性の勘に触ったらしかった。
「同情」ならまだよく、「見下された」「バカにされた」と思ったのかもしれない。

散々私に文句を言ったかと思うと、今度は私を罵倒しはじめた。
特に、その的は仕事。
一流ビジネスマンだったことを自負している男性には、仕事ネタが最も勝負しやすかったのだろう。

その昔、男性はそれなりの企業のそれなりのポジションでバリバリ活躍していたらしい。
男性は、輝いていた過去に縋って生きていた。
口から出るのは、昔の自慢話ばかり。
今現在の状況には目を閉じる。
自分を肯定し、他人を否定し続けていないと自分の存在そのものを維持できないようだった。

男性の一方的な話をしばらく聞いて(聞かされて)いた私だったが、段々と我慢ができなくなってきた。
私は、男性が依頼する仕事を断って帰ろうかと思った。

しかし、思い止まった。複雑な心境で。

この男性とは、表面的には違っているが、かつての私自身にも似たような心当たりがある。
今に輝きがなく、未来にも輝きが期待できない時には、過去の輝きにもたれかかって生きるしかなくなるのだ。

人は弱いもの。
きれい事を言うようだが、やはり、人が生きるためには人が必要。
どんなに小さなことでも、明日への夢と希望が必要。

夢とか希望って、自分の中で光るもの、人生を輝かせるものかもね。




父と息子と老朽ビル    2006.9.25
小さな雑居ビルに行った。
「ビル」と言っても低層で、かなりの老朽ぶり。
昭和30年代の建物らしく、かなりレトロな雰囲気だった。

依頼者はその建物のオーナー、中年の男性。
そのビルは、先代の父親から引き継いで所有・管理しているとのこと。
その父親は高齢・病弱で入院中。
「多分、生きては退院できないだろう」とのことだった。

私が依頼されたことは、臭いを嗅ぐことだった。
他の入居者から「変な臭いがする」と、大家である男性にクレームが入ったらしい。

私は、人に比べて格段に嗅覚が優れているわけではないと思う。
ただ、違うことと言えば、一般の人が知らない臭いを知っていることくらい。
「一般の人が知らない臭い」とは、死体の悪臭と私の足の刺激臭のこと。

話が脱線するが、五本指ソックスをこの前初めて買って履いてみた。
足ムレ対策には効果がありそうなんだけど、脱ぎ履きが面倒で私的には本格導入にはならなそう(くだらない話だね、ゴメン)。

私は、男性と一緒に連れられて上階の空部屋に入った。
その昔、男性が子供の頃に家族と暮らしていた部屋らしかった。
さすがにオーナーの部屋らしく、見晴らしがよく広い間取りだった。
しかし、老朽化は否めなかった。
古びた部屋はホコリっぽくて、以降は入居する人を募集しないとのこと。

窓が開いているせいか、部屋に入っても特に異臭はしない。
男性は窓を閉めながら、「しばらくジッとしていて下さい」と言うので、その指示に従った。
すると、しばらくしてプ〜ンと変な臭いがしてきた。

「この臭いが分かりますか?」
「・・・分かります」
「じゃぁ、これが 何の臭いでどこから臭うか分かりませんか?」
「んー・・・多分、猫やネズミなどの小動物の死骸じゃないでしょうか」
「そうですか!」
「ただ、それが床下にいるのか天井裏にいるのかは、それぞれを解体してみないと分かりませんが」
「んー、解体ですかぁ」

男性は、大掛かりなことはしたくなさそうだった。
近いうちに取り壊す予定のビルに、今更、余計な費用をかけたくないみたい。
周辺は再開発の波に押されており、男性は、すぐにでもこのビルを取り壊したいようだった。
しかし、それに反対しているのが先代、入院中の父親だった。

父親は、「自分が死んだ後は好きなようにしていいから、生きているうちにビルは壊さないでほしい」と懇願しているらしかった。

不動産は、タイミングによっては莫大な金に化ける。
再開発の波に乗り遅れたら、大きな利益を逃すことにもなりかねない。
しかし、先代が存命中は手出しができない。

父親の長生きを願いたい気持ちと、ビルを取り壊したい気持ちの間で、男性は悩んでいるようだった。

「どうせ親父は病院から出られない身体なんだから、ウソをついて取り壊すことも考えたんだけど、金のために、老い先短い親父を騙すようなまねをしちゃ、人間失格のような気がしてね・・・」
「あと、このビルを壊したら、親父も死んじゃうような気もするしね・・・」

私は黙って聞いていた。
「床と天井を解体すれば何とかなりますか?」
「ええ、何とかします」
「じゃ、お願いするかなぁ」

後日、天井と床を解体した。
案の定、そこには何匹かのネズミの死骸とたくさんの糞があった。
干からびたネズミの死骸くらい、なんてことない。
さっさと片付けた。

でてきたモノのほとんどは塵とホコリだったが、その中に妙なモノを見つけた。
拾ってみると、それは人間の歯のようだった。

私はギョッ!とした。
「なんでこんな所に歯があるんだ?」
数えてみると、何本かあった人間の歯・・・。

廃材やネズミと一緒に捨ててしまおうかと思ったが、念のため男性に確認してもらことにして保管しておいた。

更に後日。
私は、男性と現場で待ち合わせた。
そして、天井裏と床下から歯がでてきたことを伝えた。
最初は驚いた男性だったが、そのうち笑顔に変わり、それから少しして神妙な表情に変わった。

「その歯、あります?」私は、とっておいた歯を渡した。
「・・・これは私の歯、正確に言うと私の乳歯です」
「私が子供の頃、親父と一緒に捨てたんですよ」
「懐かしいなぁ・・・父さん・・・」
男性は、手の平で歯を転がしながら、泣きそうに笑っていた。

「???」
何か、男性と父親には、この歯にまつわる楽しい思い出があるみたいだった。
私は、訳が分からないまま、男性につられて笑うしかなかった。

そして、男性は言った。
「親父が死ぬまでは、このビルはきれいに管理することに決めた!」
「新しい天井と床を注文しますよ」

この男性と父親と老朽ビルの、残り少ない時間を想いながら、リフォーム工事の算段をする私だった。




How much?U    2006.9.24
「お金で買えないものはない」
少し前、こんな言葉が物議をかもしたことがあった。
発言の主は、世間から異論や非難を受けることも承知したうえで、そういった言葉を吐いたのだろうと思う。

発言者の真意は計りかねるが、私は、この言葉に何か深い意味を感じる。
そして、否定したくても、否定できない自分がいる。

私は、お金で買えないものはたくさんあると思っている。
ただ、それらのほとんどは目に見えないもの。
人の心であり、身体の健康であり、時間でもある。
そう言いながら、目に見えないモノに対しても、金が何らかのかたちで影響を及ぼすことがあることも認めざるを得ない。

私も、目に見えるモノのほとんどは金で買えると思う。
そして、目に見えないモノに対しても影響する・・・お金って、それだけの力を持つものだ。

「いい給料もらってるんでしょ?」
色々な人と出会う中で、たまにこんなことを言われる。
「そんなことないですよ」
と返しても、信じてもらえない。
隠しておく必要もないので、具体的な金額を話しても、「また、冗談を・・・」と言わんばかりの表情をされてしまう。

「人の嫌がる仕事をやれば、人より高い給料がもらえる」といった構図は、もはや過去のものになっていると思う。
今は、個人の能力・資質や労働生産性、需給のバランスが、得られる報酬にストレートに反映される時代。

そして、人は個人の能力と資質に合った仕事をするしかなく、それが人の嫌がる仕事であってもなくても、個人の能力・資質・成果によって手にできる収入が変わるのは当然のことだろう。

自分を守ってくれるのは、自分の能力と自分がだす成果。
努力やプロセスより結果重視。
私は、この現実をシビアだとは思わない。
資本主義社会においては当然のことだ。
でも、そんな傾向一色に染まっていく社会に、いくらかの寂しさを覚える。

「幸せは買うものではなく創るもの」
こう言う人がいる。
非常に耳障りのいい言葉だし、ある種納得できる理屈でもある。
しかし、何となくシックリこない。
私レベルの人間は、創る材料は、やはり買わないと手に入らないような気がするのだ。

TV番組によくあるパターン。
発展途上国の自給自足生活やそんな暮らしをする人達を見て、「本当の豊かさとは、こういうものだ」「心が豊かな人達た」「幸せな人生を送っている」「日本人は心が貧しい」等とコメントするTV人がいる。
この類の発言は、私にとっては耳障りなものである。

そもそも、人の幸せや豊かさには万民共通の定義なんて持ちようがない。
なのに、自給自足生活の一部、しかも表面だけしか見えていないのに全部を知り尽くしたかのようなコメントを吐く。
そんな無責任さに抵抗感があるのだ。

「あんな貧乏暮らし、私はイヤだ」
「こんな不衛生な暮らし、私は耐えらない」
「私は、物が豊かで便利な日本の方がいい」
たまには、こんなコメントをするTV人がいたっていいのにね(そんなこと言ったら番組にならないか)。

「人は何のために生きるのだろうか」
「人の幸せって何だろうか」
「・・・やっぱ、金かなぁ」
生きている限り、尽きない悩みだ。

「ボロは着てても心は錦」⇔「心はボロでも錦が着たい」
こんな中途半端なところを行ったり来たりしながら、ここまでやってきた私。
多分、これからもそんな宙ブラリンのまま生きていくんだろう。

予想して(恐れて)いた通り、今年の収入が前年割れすることが確実になったので、少しスネている私である。

何か、支出を削らないとなぁ・・・やっぱ、食費かな。




脂肪で死亡     2006.9.23
世の中には、好きなだけ飲み食いしても体重が変化しない、羨ましい体質を持った人がいる。
私も、若い頃はそうだった。

二十歳前後の頃は、一食の御飯の量が二合位、多いときは三合の御飯をペロリとたいらげていた。
それでも、体重は増えることなく、わりとスリムな体型を維持できていた。
標準体重を少し下回るくらいで。

ところがである。
20代後半から、少しずつ何かが狂い始めた。
飲み食いした分が、体重に乗ってしまうようになったのだ。
みるみるうちに標準体重を突破したかと思うと、あれよあれよと言う間に「やや肥満」に。
気がついた時には、「肥満!」と太鼓判を押されるような始末になっていた。

私にとって、飲み食いは大事な楽しみの一つ。
大袈裟なようだが、生きる喜びの一つなのである。
特に、酒・肉料理・甘味には目がない。
焼肉+ビール、食後にアイスクリームなんて最高だね!
でも、身体には最悪・・・。
(しかし、飲み食いぐらいしか楽しみがないなんて、寂しい人生だね。)

腐乱した故人も、私と似たような趣向の持ち主だったみたい。
医師からはカロリー制限とダイエットを指示されていたらしい。

「腐乱場所は、浴室と脱衣場」と聞いていたので、私は浴室の方にウェイトを置いて行った。
風呂場の汚染は、これまた独特で、インパクトのある現場ばかり。
今までの経験から、どうしても風呂場の汚染ばかりが頭に浮かんできた。

ところが、汚染のほとんどは浴室の前の脱衣場が占めていた。
風呂場の汚染に比べれば少しはマシだったが、その汚染はジュニアヘビー級。
「うへぇー、こりゃヒドイなぁ」
と、いつもの一言。

作業は単純。
腐敗液を吸い取りながら、腐敗粘土を削り取る。
ひたすら、その繰り返し。
床にある、バスマットや細かい生活用品も、腐敗液・腐敗粘土にまみれてヒドイことになっていた。
そんな汚物を一つ一つ持ち上げて取り除く作業には、たまらないものがある。

そんな中、床の片隅に四角く盛り上がっている所があった。

「ここにも何かあるな」
私は、躊躇うことなく、それに手を出し、そして持ち上げた。
ズシリとした重量感があった。

ボト!ボト!ボト!ボトーッ!!!

「うげー!何だこりゃ?」
持ち上げたモノの中から、淡黄色の腐敗脂とウジが大量に溢れ落ちてきたのである。
その量と言ったら、半端じゃなかった。
フライパンに入れたら揚げ物ができそうなくらい(想像しなくていい)。

ひょっとしたら、故人は風呂上がりに体重計に乗ったところで倒れたのかもしれない。
そして、誰にも発見されないまま溶けていった・・・。

故人が、床に広がる自分の脂の量を見たら驚くに違いない。
そして、思うだろう。
「真剣にダイエットするべきだった」と。

私は、ウジのオイル漬を片付けながら考えた。
「食欲って、どうやったら抑えられるんだろう」
え?
食事前に特掃現場を思い出せばいい?

残念ながら、そのくらいことじゃ私の食欲は微動だにしないんだよねぇ。・・・だけど、一般の人には効果があるかもね。

そう!
ダイエットに苦しんでいる方には、私のブログはおすすめだ!



死体市場     2006.9.22
東京で最も有名な市場は、築地の魚市場だろう。
テレビの食べ物番組でも、よく放映されている。

私は、中には入ったことはないけど、たまに市場前の通りを車で走る。
朝早くから、たくさんの人が働き、たくさんの車が出入りしている。
そして、場外には、おいしそうな店が軒を連ねている。

機会があったら立ち寄って、食してみたいものだ・・・
あ!ここに行けば、美味しいウニ丼があるかもね。

食べ物を扱っているせいもあるのだろうが、活気あふれる魚市場からは人が生きるエネルギーを感じる。

身内や知人の葬式で、一度くらいは火葬場に行ったことがある人は多いと思う。
仕事柄、私は首都圏の火葬場は一通り行っている。

火葬場には色々な施設がある中で、私が縁のある部屋はやはり霊安室。
霊安室には、柩に納まった状態の遺体が、保管されている。
また、納棺作業をその場で行うことがある。

死亡者数が少ない時期は、霊安室もガラガラ。
多い時期は、保冷庫も満杯になり、棚や床に柩が並べられる。
場所によっては、歩くスペースもなくなるようは所もある。
ある種、壮観な光景でもある。

霊安室だからと言っても、特に暗い雰囲気はない。
絶えず保冷庫と空調の動く音がしているような、機械的な所。
無機質な構造に冷たさはあるものの、精神的に受ける悲壮感はない。
あくまで仕事場。

人は一年を通して平均的に亡くなっていくのではなく、季節ごとに大きな波があり、日ごとに小さな波がある。
亡くなる人が増えるのは冬場。
気温や気圧が影響するのだろうか、冬は葬儀業界が活気づく季節だ。

忙しい時期の火葬場には、魚市場のような活気がある。
一口に葬式と言っても、それは多種多様な仕事で構成されており、それぞれの専門業者・専門部署に分業されている。
したがって、一つの葬式も実に多くの人の働きがあって成り立っているのである。

都市部の火葬場では、毎日何人もの人が焼かれる。
当然のことだが、葬式の裏方は辛気臭い雰囲気で仕事はしない。
葬式がたくさんでる時期に火葬場が活気づくのも自然なこと。

忙しく立ち働く多くの人、激しく出入りする車、遺体や柩があちこちに運ばれていく様・・・
死人は異なれど、いつもと変わらない手際よさで葬式の準備が整えられていく・・・
そんな光景を見ていると生きていることのエネルギーを感じる。

死人を送る仕事によって生きる糧を得る。
(糧とは、金銭のみを指さず。)

不謹慎な言い方かもしれないが、そこは魚市場ならぬ死体市場。
死者を送る仕事に関わっている私自身も、いつかはこういう所で灰にされる。
それは、逃れられない現実。

「俺も、いつかは死ぬんだなぁ・・・」
自分の死は、にわかに信じ難いことでもある。

何度も同じようなことを書いてしまうが、生きていることって、ホントに不思議なことだ。




寝込んだネコU    2006.9.21
猫という動物は、好む人と嫌う人がわりとハッキリ分かれる動物ではないだろうか。
私は、猫より犬の方が好きだ。
もっとも、犬猫より牛(Beef)・豚(Pork)・鶏(Chicken)の方が好きだけど。

8月21日「飼猫とサラリーマン」の続編。
私は猫の死骸を片付けるため、再び現場に行った。

依頼者は、「気持ち悪くて、とてもネコの死骸を見ることができなかった」と言う。
ただ、私が伝えたその場所に近づくと異臭がするので、死骸の存在を感じたらしかった。

家の裏、陽当たりの悪い狭いスペースにネコの死骸はあった。
私が初めに発見したままの状態で残っていた。
そして、その腐乱臭は人のそれと酷似していた。
ただ、それが屋外だったことと、ネコの身体は小さいことが幸いして、そんなにキツい臭いではなかった。

ネコは、骨だけ残して完全に溶けていた。
これも人と同じ。
違うのは、体毛の有無。
言うまでもなく、ネコの全身は毛で覆われている。
人間でも、体毛の濃い人はいるだろうが、ネコの比ではないだろう。

地面のコンクリートに、溶けかかった毛皮がへばり着いていた。
そして、細かい毛には小さなウジが絡みついていた。

「やっぱ、ここにもいたか」
「まったく、たくましいヤツらだ」
ウジに対しては、嫌悪することより感心することが多い。

精神的に重かったのは、頭部。
眼球がなくなり、歯も剥きだしになっている頭蓋骨が、溶けかかったクサ〜イ毛皮に覆われているような状態。
特に、眼球がない様が不気味さを増長させていた。
逆に、眼球だけがシッカリ残っていたら、そっちの方がもっと怖いけど。

私は、その状態をしばし観察してから、死骸の片付けに取り掛かった。
人間に比べてはるかに小さいネコ腐乱の処理は楽なものだった。

一つ一つの骨を拾ったりもせず、スコップですくった。
「小さい」と言っても、一発ですくい取ることはできず、何度かに分けて少しずつすくった。

頭部をすくう作業は、やはり鳥肌モノ。
胴体から外れた頭は、スコップの上でゴロゴロと不安定に転がった。
刺激的なその様からは、おのずと視線を逸らさざるを得なかった。

死骸をきれいに除去した後の地面(コンクリート)には、濡れたような痕が残った。
ネコの腐敗液・腐敗脂が染みついていたのだ。

今後のことにも影響するので、これをどうするかを依頼者と相談した。
すると、依頼者から意外な相談を受けた。
「ネコの死骸を庭に埋葬して欲しい」
「この家は故人の持ち物だし、しばらくは誰も住む予定もないし」
「故人も可愛がっていただろうし、ネコも故人を慕っていただろうから」
との優しい配慮だった。

ただ、埋める場所は私に任せるので、依頼者には知らせなくてもいいとのことだった。
「埋めた場所を知りたくないとは・・・」
依頼者は、単なる優しさだけではなく、ネコや故人の祟り的なものを恐れているようにも感じた。

何はともあれ、埋葬できることは私にとっては嬉しいこと。
庭の一角に適当な場所を見つけて、できるだけ深く穴を掘った。
そして、ネコを丁寧に埋めた。

気持ちもスッキリと、この現場を終えることができた。

私は、猫より犬の方が好きだ。
ただ、これは飼主の立場で考えた場合。
飼われる立場だったら、何事も従わされる犬より自由気ままが許される猫の方がいい。

飼うなら犬がいい、飼われるなら猫がいい。
自分は猫でいたいけど、回りの人間には犬でいてほしい・・・こんな人間関係に心当たりがある人は多いんじゃない?

そんな事を言いながらも、「お手」と「お座り」はシッカリできるように仕込まれて大人になった私。
ただ、残念なことに、尻尾をふるのが下手クソなんだよねぇ。




社会的動物     2006.9.20
「赤信号、みんなで渡れば恐くない」
「青信号、誰も渡らず渡れない」

個性より協調性、単独行動より団体行動が重んじられる世の中。

「出る杭は打たれる」
「郷に入らば郷に従え」

言うまでもなく、日本は議会制民主主義の国。
何事も多数決で決まる。
多少のストレスがかかっても、大多数の意見や考え方に埋もれていた方が安全である。
学校教育も、通り一辺倒の人間を作ることを最優先しているようにしか思えない。
そして、よくも悪くも、大多数に合わせられない人間は、つまハジキにされる。

小さな老朽一戸建。
狭い間取りの奥の部屋に腐乱痕があった。
部屋の戸を開けると、もぁ〜っといつもの腐乱臭が覆ってきた。
「まったく、この臭いはいつ嗅いでもかなわねぇなぁ」
マスクをしていなかった私は、服の袖口で鼻と口を押さえた。

通常は、最もヒドイ汚染物を先に撤去するのだが、ここではそれができなかった。
この部屋でヒドク汚染されていたものは、布団・カーペット。
しかし、半ゴミ屋敷状態のその部屋では、布団もカーペットも、生活雑貨(ゴミ)に埋もれてしまってどうにもならなかったのだ。

仕方なく、私は濃い腐乱臭の中、ひたすらゴミを撤去した。
いたる所にウジの死骸が潜んでおり、それはそれでかなり汚かった。

ほとんどのゴミを部屋から出すと、汚染の全体が見えてきた。
当初の予想以上に汚染範囲は広く、汚染度も深刻だった。
全体が見えないうちはノーマルだと思って踏んでいた床も、実は汚染済みだった。

「おーっ?こりゃヒドイなぁ」
推定された死後経過日数からは、想像し難い汚染の広がり方だった。

私は、最後に残ったヤバイ部分に手をつけた。
汚腐団の一枚一枚を慎重に掴み上げ、ゆっくり袋に入れた。
一枚一枚を持ち上げる度に、自然と「お゛ーっ!」という悲鳴?がでた。

それでも、掛布団・毛布まではまだよかった。
敷布団を見たときは、「お゛ーっ!でたなぁっ!」と驚愕の声。
それは、汚腐団の中の汚腐団だった。
腐敗液をタップリ吸った敷布団は黒光りしそうなくらいで、小さなウジが無数にくっついていた。

参考までに・・・
ウジの大きさを米粒くらいと想像する人が多いと思う。
なかなか見る機会はないと思うけど、初期のウジは極小!
至近距離でないと、肉眼では確認できないくらい。
逆に成長したウジはデカい!
米粒の何倍にもなる。
こんなのが群れを成している光景を見ると、なかなかの迫力を感じる。

私は、心の中で深呼吸して(実際に深呼吸する勇気はない)、気持ちを落ち着けてから敷布団の撤去にとりかかった。

敷布団をめくり上げてみて、更に「お゛ーっ!!」。
表面より裏面の方がヒドク、ネトネトの腐敗粘土がベットリと溜まり、床には無数のデカいウジがいた。

「うぁ゛ーっ!なんてこった!」
私は、動きを止めた。
そして、この後の作業手順を考えた。
慎重に、慎重に。

スーパー汚腐団を何とか袋に詰めた私は、一息入れながら床のウジを眺めた。
よく見ると、ウジ達はみんな同じ方向に逃げていた。
丸々と肥え太った身体を波うたせながら、きれいに一定方向を向いて動いていたのだ。

「ん?おもしろい光景だな」
「一匹くらいは別方向に逃げるヤツがいてもいいのに・・・」
「ウジの社会にも色んな柵や事情があるのかな?」

身の危険を感じた本人達(本ウジ達?)は急いで逃げているつもりなのだろうが、そのスピードがウジの限界だった。
私のスピードに敵う訳がなく、あえなく御用。
悲しい結末が待っているだけだった。
皆とは違う方向に逃げていれば、助かったかもしれないのに・・・。

私は、闇雲に個性を主張すればいいと思っている訳ではない。
個性と個人のエゴを混同してはいけない。
自分を自制できないことを、個人の自由だと勘違いしてはならない。

また、協調性を発揮することと回りに妥協・迎合することは違う。

自由に個性を発揮しながらも、社会の秩序をキチンと守る。
今の世の中、そんな生き方が大事だと思う。




きのこ狩り(後編)     2006.9.19
この表題と前編からの流れで、後編の話がだいたい想像できると思う。
わざわざ書くまでもないような展開だが、秋らしい話題?として書き残しておこうか。

数日後、現場を確認した依頼者から電話が入った。
契約に沿った仕事をしたので、依頼者からは「問題なし」「ありがとう」の声が聞けるものとばかり思っていた。

しかし、依頼者は私の思いとは逆に、「部屋に何かがいる!」と興奮状態。
ちょっとパニックっていた。
それを聞いた私は、「何言ってんだ?」と、依頼者の言っていることが理解できなかった。
「何かがいる!」と言われても、私は何も心当たりがない。

「作業を終えて退室したときは、間違いなく部屋は空っぽになっていたはず・・・なのに、何かがいる・・・?
「野良犬が野良猫が入り込んだか?」
「それとも、虫の類か?」

とりあえず、その正体を知りたくて、依頼者に細かく質問をした。
腐乱現場では、ウジ・ハエが後から湧いてくることはあるが、どうもその類ではなさそうだった。
依頼者は、驚きのあまり、その正体を確かめないまま玄関ドアを閉めていた。
私は、もう一度中に入って確認してもらいたかったが、「恐くて入れない」と言う依頼者に無理強いはできなかった。
仮に、モノの正体が野良犬や野良猫の類で、依頼者に危害を加えるようなことがあってはマズイし。

「んー、何だろう・・・」
私はモノの正体を全く想像できなかった。
ただ、怖がる依頼者を放っておく訳にもいかないし、「正体を知りたい」という好奇心もあったので、私は現場に行くことにした。

私が現場に到着したとき、既に依頼者は退散していた。
私は、まず中の音に耳を澄ました。
特に、音らしいが音は聞こえなかった。
次に、玄関ドアをノック。
これにも反応がなかった。
それから、片手に棒状の工具を持ち、ビクビクしながらも気持ちを戦闘モードに切り替えた。
そして、意を決して玄関ドアを開けた。

「ん!?」
何もないはずの床に、何かが見えた。
驚いた私は玄関ドアを勢いよく閉めた。
確かに依頼者の言う通り、畳の上に不気味な何かがいた。
私は、ドキドキする心臓を静めるためと、頭を整理するために、しばらく外で小休止した。

「犬猫ではなさそうだし・・・爬虫類系にも見えたが・・・亀?・・・まさかな・・・じゃ、あれは何だ?」
いつまで考えても、私は答がだせなかった。

考えてても仕方がない。もう一度、意を決して、私は玄関ドアを開けた。
畳の上に、こんもりとした何かがいる。
ウロコ系の爬虫類、亀みたいにも見える。
私は、爬虫類が大の苦手!寒気がしてきた。
それでも、勇気を振り絞って近づいた。
そして、謎の物体をよく見た。

「な〜んだぁ」
近くでよく見てみると、それはキノコだった。
畳の腐った部分にキノコが群生していたのだ。
大小一つ一つの傘がウロコのように見え、全体として結構な大きさの爬虫類のような形を成していたのであった。

私は、一気に気が抜け、同時に安堵した。
そして、依頼者に電話して、正体がキノコであることを伝えた。
驚きの余韻が残っている依頼者は、理解し難いようだったが、丁寧に説明した。

それにしても、キノコの成長は凄い!
わずか数日で、ここまで群生するなんて。


私は、現場に来たついでにキノコを片付けて行くことにした。
キノコは根を張っている訳ではないので、取り除くのに大した労力はいらなかった。
「このキノコは食える種類かなぁ」と、くだらないことを考えながら作業。
「たくさん採れたら売れるかなぁ」とバカな冗談を思いついた時、大事なことに気がついた。

「今、このキノコを片付けても、また生えてくる可能性は充分あるな・・・ってゆーか、生えてくるに決まってる!」
「だったら、今片付けても意味ないじゃん!」
私は、キノコ狩りを中止して現場を後にした。

それからしばらくの間は、キノコのその後が気になった。
「あの勢いだと、とんでもない量になるに違いない」
仕事に関係ないので、見に行きい好奇心を抑えた私だった。

過ごしやすい季節になり、心身ともにだらけてきた。
どうしたらシャキッとするだろう。

私にとってキノコは、旨くもマズくもないような食べ物。
そんなキノコでも大きな生命力を持っている。
たまには、キノコを食べて元気だそうかな。




きのこ狩り(前編)     2006.9.17
秋がやってきた。
食欲の秋、行楽の秋、勉強の秋、人によって色んな秋があるだろう。
私にとっては、やっぱ「食欲の秋」かな。
・・・食欲については一年中だが。
意地汚い私は、年柄年中、食い物のことばかり考えている。

若い頃はいくら飲み食いしても体重に響かなかったのに、歳を重ねると少しの飲み食いでも体重が増える。
身体の基礎代謝が落ちているからしい。
んー、悩ましい。
でも、食欲と食物があることだけでも感謝した方がよさそうだな。

老朽アパートの特掃依頼が入った。
木造1R、かなり古いアパートだった。
長い間、掃除や片付けをしていなかったらしく、中はゴミだらけ。
そして、この部屋の主は病院で亡くなって間もなかった。

玄関から中に入り、目に飛び込んできた部屋の光景に溜息がでた。
例によって、「こりゃヒドイなぁ」

暗〜い部屋には家財道具・生活用品、そして大量のゴミがあった。
「この部屋で死んでいた」と言われてもおかしくないくらいの汚れ具合いで、私は、「病院で亡くなった」という依頼者(遺族)の説明を疑った。
私は、警戒しながら部屋に踏み入った。
そして、注意深く部屋を観察した。

カビ臭いような異臭(ゴミの臭い)はあるものの、例の腐敗臭はなく、「とりあえずは遺族の説明を信じるしかなかないな」と思った。
それでも、慎重派の私は、「腐敗痕がゴミに隠れている可能性はあるな」という疑いを捨てることはできなかった。

依頼内容は、「中にある家財道具・生活用品・ゴミの撤去だけで、ハウスクリーニング・内装工事は不要」とのこと。
このアパートは、近々取り壊される予定らしかった。

作業の日、念のため私は腐乱汚物が出たとき用の装備も整えて行った。
依頼者は、都合が悪くて現場には来なかった。

まずは、ゴミを袋に詰めたり、梱包したりしながら大型の家財を搬出。
ゴミを動かすごとに種類の違う悪臭が漂った。
「そのうち腐乱臭がでてくるかも」と、私は気を緩めなかった。

ゴミをだいぶ撤去したところで、床の方に布団らしきものが見えてきた。
だんだんと全体が見えてくる布団にイヤな汚れを発見。

「ん!?これは汚腐団か?」
心臓がちょっとドキドキしてきた。
そのうち、布団は全体像を現した。
黒く腐ったそれは、完全に汚腐団だった。
しかし、腐乱臭がしない。居るはずのウジもハエもいない。

「!?おかしいなぁ」
見た目には腐乱死体が寝ていただろう汚腐団にソックリなのに、実際は、長い間ゴミに埋もれて腐った、ただのゴミ布団だった。
かなりの長い間、ここがゴミ屋敷だったことが想像された。

別に、腐乱死体痕を期待していた訳ではないが(職業病?)、拍子抜けした私はさっさとその布団を丸めて袋に入れた。
それから、布団の下の畳を見て少し驚いた。
布団だけじゃなく、畳まで黒茶色に腐ってフニャフニャになっていたのだ。

「これじゃ、床板も相当イッちゃってるな」
「でも、どうせ取り壊されるアパートだから関係ないか」

幸い、畳は撤収する契約ではなかったので、そのままにしておくことができた。
普通は、汚染された畳をそのまま残していくことは滅多にないのだが、近々に取り壊されるこの現場ではそれが許された。

とりあえず、依頼通りに作業は完了。
ゴミだらけの部屋だったのに、いざトラックに積んでみると大した量ではなかった。
「余裕で終わった」
「楽勝だったな」

依頼者に、作業が無事に終了したことを電話。
そして、都合のいい時に現場を確認をしてもらうよう頼んだ。

「腐乱痕があるかも」と警戒していた私だったが、結局ただのゴミ処分で済んだ現場だった。

気分も軽快にトラックを走らせた。

その時は、この後に起こるトラブルを、知る由もない私だった。




遺骨と自分     2006.9.16
自分が死んだ後、その骨をどうしてほしいか、考えたことがあるだろうか。
火葬された後に残される自分の骨の行く末をだ。

私なりの自論なのだが・・・
骨になった状態は既に自分であって自分でないようなもの。
したがって、骨がどこでどうなろうと、知ったことではない・・・と思う。
しかし現実には、そう思いながら、なかなかそう割り切れないものがある。
やはり、遺骨の状態でも、自分の肉体であることの感覚は捨てにくいものだ。
生きている今は、自分の身体を自分そのものとしている訳なので、なかなか自分と別物とは考えにくい。

アノ世というものがあるなら、そこはコノ世の理解を超越した異次元の世界なのだろう。
それを考えると、「自分の骨をどうするか」なんてたいして大事なこととは思えなくなる。

集合墓地の「永代供養」だって「永久に面倒みます」ということではなく、「しばらくの間は面倒みます」という意味だし、一般の墓だって子々孫々がいつまでも面倒みれるものでもないだろう。

でも、まぁ、墓(遺骨)は、亡くなった本人のためというより、残された人の癒しのために必要でもあろうから、私のように一義的な考えに偏らないは方がいいね。

既婚女性の話に限ってみると、嫁ぎ先の墓に入るのが旧来からの習慣としてあると思う。
核家族化がすすんでいる昨今でも、夫の家の墓に、または夫と一緒の墓に入るのが一般的だろう。
ただ、「夫と一緒の墓なんて、まっぴらゴメン!」こんな奥様方も増えてきているような気がする。
逆に、「妻と一緒の墓に入りたくない!」という男性がいても自然なことだ。
もちろん、これは少数意見に変わりはないのだろうが、その数自体は増えているのでは?
近年の離婚の増加が、何となくそんな気を起こさせる。

だいたいの場合、遺体は専用の火葬場で焼却される。
そして、遺骨は火夫によって選別され、遺族の前に出される。
直接見たわけではないので、軽はずみなことは言えないが、おそらく骨壷に入りきるくらいの大きさと量になるよう、作為的に調整されているものと思う。
少なくとも、細かい残骸は遺族には渡らないはず。
そうすると、燃え残った遺骨の100%が遺族に渡される訳ではないということになる。

では、残った骨(遺族に渡らない骨)はどうなるのだろうか。
きちんと検証した訳ではないが、東海地方の某県某市に全国の火葬場からでた遺骨の残骸が集められているという話を聞いたことがある。
もちろん、ゴミとして捨てるのではなく、きちんとした処分方法が執られていることだろう。

そんな現状を考えると、遺骨(墓)は故人本人のためではなく、残された人のためにあるように思える。

今までに何度が書いたように、たまに特掃現場から骨がでてくることがある。
もちろんレアな状態、腐敗液や腐敗肉片が着いている。
当然、臭い!ベタベタネチョネチョ!

見つけた骨は拾って保管する。
そして、遺族に返す訳だが、とてもそのままで返せるような代物ではない。
汚いうえに、とてつもなく臭いから。
私は、返す前に骨をきれいにする。
時には洗うし、時には磨く。

これまたバカの自慢話として聞いてもらいたいが、この作業は私くらいしかやらない。
結構、骨が折れる面倒な作業なのだが・・・。
他の者ができない理由は、「面倒」というより「気持ち悪い」らしい。

「故人だって、自分の骨が汚くて臭いままで残されるのは残念だろう」
「遺族だって、汚くて臭い骨を渡されたって困るだろう」
私は勝手にそう考える。
ま、もともと、私はレア骨を気持ち悪いなんて感じないから平気なのだ。

一見、心優しい人間に映るかもしれないが、私は、そんな骨を見る度にKFCを思い出してしまうような人間である。




ダメ男
どんな仕事にも共通することだろうが、私は仕事を通じて色んな人と出会う。
そして、出会う人(正確に言うと死人)の一人一人にドラマがある。

言うまでもなく、腐乱した本人は独居者であることがほとんど。
独り暮しをしていた理由も色々ある。
連れ合いと死別・離婚、生涯独身etc

ある腐乱現場。
狭い路地を入った古いマンションの一室。
電話をしてきたのは年配の男性だった。
そして、現場に現れたのは初老の男女だった。
てっきり夫婦だと思ったが、そんなことは私には関係ないので、あえて尋ねたりもしなかった。

汚染現場はトイレから脱衣場へまたがった入り組んだスペース。
床はビニールクロス。
半分乾きかけたチョコレート色の腐敗液の回りに、透明の脂が広がっていた。
そして、腐敗液に混ざった頭髪にウジが這い回っていた。
ウジって、身体を波うたせながら前に進む生き物。
よ〜く見ると不気味(よ〜く見なくても不気味か)。
今にもハエに羽化しそうに肥え太ったウジは、白い身体の中に黒ずんだ内蔵が透けて見えた。

更に、警察が遺体を回収する際に残していったであろう汚れが、トイレ・脱衣場の壁と玄関につながる廊下に付着していた。
そんな状況でも、私にとっては軽いものだった。

「どうしても気持ち悪い」「申し訳ない」と、二人とも汚染部分を見ることを拒んだ。
しかし、作業後のトラブルを防ぐために作業前の現場を見ておいてもらうことは、私にとって重要なこと。
でも、モノがモノだけに無理強いはできない。
仕方ないので、紙に現場の見取図を書き、イラストと口答で汚染の状況を伝えた。
男性は、それだけでも気持ちが悪そうにして、口と鼻からハンカチを離さなかった。
その場に女性も居たが、ほとんど黙ったままだった。

そんな状況で見積を済ませ、男性の強い要望でそのまま清掃作業に入った。
最初の電話でも作業の可能性を示唆されており、作業用の装備は整えていたので、問題はなかった。
やはり、完全にきれいにするには、床壁クロス・床板・壁の一部を交換しなければならなかったが、今回はとりあえずの清掃・消臭だけを先にやっておくことになった。

二人には清掃作業が終わるまで、できるだけ腐乱臭の少ない風通しがいい部屋で待ってもらった。
作業時間もそんなに長くかかりそうでもなく、見えない部分の汚染を残していくため、外出したそうにしていた二人に、頼んで現場に居てもらった。

私にとっては軽い汚染、手際よく作業を進めた。
硬くなった腐敗チョコは工具で削りながら、専用洗剤を使ってひたすら汚物を拭き取った。
予想外に腐敗脂が広範囲に広がっていたことと(薄く広がった脂は透明で、目で確認しにくい)、ウジ・頭髪が若干の障害になったものの、想定外のトラブルもなく作業は終盤に入った。

腐敗汚物はなくなったので、二人にも現場を確認してもらった。
やはり二人は、現場を見るのが怖いようだった。
私に促されてトイレ・脱衣場を恐る恐る覗き込んだ。

ほとんどきれいになった現場を見て、「ありがとうございます」と言ってくれた。
そして、「本当は、私達がやるべきだと思ったのですが、どうしてもできなくて・・・」と誰かに詫びるように言い、続いて故人について話を始めた。
私は、仕上げの拭掃除をしながらその話を聞いた。

依頼者の二人は夫婦ではなく、故人の兄姉だった。
故人(女性)は60代前半。端から見ると惨々な人生だったらしい。

戸籍上は独身だった女性だったが、実際はある男と一緒だった。
男性に言わせると、その男はかなりのダメ男だったらしい。
定職・定収がなく、酒・ギャンブルが好きだった。
男がつくった借金を故人が返済するような生活。
時には、故人に暴力を振るうこともあった。
挙げ句の果てに、他に女をつくって出て行ったことも一度や二度じゃない。
それでも、謝って戻って来る男を故人は許していた。
男は、「大きな夢がある」「並の人生じゃつまらない」「いつかは成功してみせる」等と、口では大きな事を言っていた。
男性は妹に、「そんな男とは早く別れろ!」と、何度も説得を試みたとのこと。
しかし故人は、「そうよねぇ」と同意しながらも、結局その男と別れることができなかったらしい。

私は、男に対する憤りと故人を不憫に思う気持ちがでてきた。
私は、思わず作業を手を止めて男性との会話に入り込んでいった。
いつの間にか、私達二人は男に対する批判を熱く語っていた。

ひとしきり男の悪口を言ったところで、女性が口を挟んできた。

「女心は、男には分からないもの」
「○○(故人の名前)は、それでも幸せだったのよ」
女性は更に続けた。
「自分をマトモだと思っている男ほど、実はダメ男だったりするのよねぇ」

女性に一本とられた。
「確かに、女性の言う通りだ」と思った。
私は黙るしかなく、返す言葉が見つからなかった。
ダメ男は自分だった。

どんな人物であれ、男は故人にとってかけがえのない人だったのだろう。
それは、当人達にしか分からなかったこと。

興味はあったけど、それから男がどうなったかは聞かなかった。
ただ、小さな仏壇にあった遺影と位牌が、それを思わせた。

世間の評価ばかり気にして、肝心の人からの評価は気にも留めない・・・
不特定多数の人から受ける評価を気にして、社会や会社から大事にされたいと思いながら空回りしている人は多のではないだろうか。

しかし、広い社会に、本当に自分のことを大事に思ってくれる人はどれだけいるだろうか。
本当に大切にするべきもの(人)は、もっと身近にある(いる)のではないだろうか。

身近な所に目を向けて生きることの大切さを教わった現場だった。




死者への使者     2006.9.14
よく、死がやって来ることを「お迎えが来る」とか、死を覚悟することを「お迎えを待つ」等と言う。

その「お迎え」とは、一体何を指しているのだろう。
もともとの語源は、何かの宗教や思想にありそうだが、私は、たまに耳にするこの言葉に苦笑いすることが多い。

ちなみに・・・
業界では(首都圏だけかもしれないが)、亡くなった人を病院から搬出することを、「病院下げ」「遺体下げ」「下げに行く」等と、「下げる」という言葉で表す。
「運ぶ」とか「引き取る」等とは言わない。
何故か、「下げる」と言う。

その言葉からは、「いならくなったモノを片付ける」といったような意味を感じるが、正確な語意は分からない。
多分、これにも語源があり、何らかの意味があるのだろう。

遺体搬送で病院に行くと、ほとんど決まったパターンで作業は進む。
作業的には難しい仕事ではなく、どちらかと言うと単純作業に近い。
肉体な力もあまり必要ではない。
力が要るのは、遺体を担架に積む時と、担架から降ろす時くらい。

依頼が入ると、まずは病院に急行。
電話連絡が入ってから30分以内、遅くても1時間以内で病院に到着するのが業界の常識。
したがって、電話が入ってからはかなり慌ただしく動くことになる。
救急車じゃないんだから(全くその逆)、本来はそんなに急ぐ必要はないように思えるだろうが、ま、その辺は裏事情があるということで留めておこう。

初めて行く病院では、要領が分からずにモタモタしてしまうこともある。
霊安室や遺体搬出口は目立たない所にあることがほとんどで、しかも、仕事が仕事だけに、表玄関から堂々と入って誰かに尋ねる訳にもいかない。
そうこうしながら、ストレッチャーを引っ張って目的の病室、もしくは霊安室へ。

以前にも書いたが、病室に行く場合は他の患者やその家族の視線が気になる。
死人を迎えに来る私が、歓迎された者ではないことは明白。
何も悪いことをしている訳でもないのに居心地が悪い。
自然とコソコソしてしまう。

そんな私は、死神の遣い?
死んで間もないのに、いきなり現れたかと思ったら、感情がないかのように機械的に遺体を連れ去っていく・・・そんな姿が死神の使者のように見えてしまうかもしれない。

ほとんどの遺族は、沈んだ雰囲気の病室で私の到着を静かに待っている。
そんな遺族への第一声はいつも同じ。
「この度は御愁傷様でございます」
と一礼。
遺族も、私に深々と頭を下げる。
そして、第二声。
「お迎えに参りました」
そして、遺族からは、
「おじいさん、お迎えが来たよ」
「おばあさん、お迎えに来てくれたよ」
だいたいこんな声が聞かれる。

私も遺族も「お迎え」という言葉を使う。
そして、ある時気づいた。
「お迎えって、俺のことか?」
「何か、イヤな役回りだなぁ」
それからというもの、私は、お迎えの仕事に何とも言えない苦笑い的なものを覚えるようになった。
「苦笑い」と言っても、あくまで自分に対してであることを釈明しておく(不謹慎だと思わないでほしい)。
ま、何とも因果な仕事だ。

たまには私も、気持ちがウキウキするような相手を迎えに行きたいもんだ。
・・・そんな歳でもないか。




戦う日々
「死んだ方がマシだ」「死んでもいい」「もう死にたい」「死んでしまえ」「死ぬー」etc

自分の伝えたいことを強調するために、こんなセリフを使うことはないだろうか。
「死」と言う言葉を織り交ぜて、感嘆詞として無意識に使っている人は案外多いと思う。
そんな日常に心当たりはない?

私は、この仕事を始めてから「死語」(死という言葉を混ぜた感嘆句)を軽はずみに使わなく、イヤ、使えなくなった。
本当の死が、多くの死があまりに身近になったから。
誰しも本当の死を考えて吐いているセリフではなく、特に深い意味もないのだろうが、私の場合は、本来そう簡単に使えるような言葉ではないことに気づかされている。

以前にも書いたが、この仕事を始めて最初に出会った遺体は、おじいさんの亡骸だった(遺体処置作業)。
まるで生きている人が眠っているだけのような遺体を見つめながら、
「この人、死んでるんだなぁ」
「この人、死んでるんだよなぁ」
と、心の中で繰り返し呟いたのを憶えている。
そして、人が死ぬという不可解な現象を漠然とながらも重く受け止めたものだった。

特掃に行くのは、それからしばらく先のことになるのだが、不思議なことに初めての腐乱現場を憶えていない。
初期の頃の現場はいくつか記憶しているが、最初の現場がどれだったのか記憶が定かではないのだ。
あまりにインパクトが強過ぎたため、脳の防衛本能が働いて憶えていないのかもしれない。

遺体処置・遺体搬送・遺品整理・遺骨葬送etc、死体業の仕事は色々あるが、ショック度やインパクトの強さは特掃が他を圧倒している。
仲間にも、「他の作業はできても特掃だけは無理!」と言う者が少なくない。
バカの自慢話として聞いてもらいたいが、私は他の仕事にも増して特掃に燃える。
グロい現場であるほど、私の出番になる。
「特掃隊長」と呼ばれるだけのことはある(だだの自称だけど)。

特掃作業は誰か他の人に気を散らすことなく、ひたすら作業に集中できる。
敵は汚物・ウジ・ハエ、そして自分。
本ブログの表題、「戦う男達」が意味するところはここにある。
戦いの相手とは、本当は自分なのだ。

これは、何も死体業にかぎったことではなく、どんな職業にも当てはまることだと思う。
イヤ、仕事だけじゃなく、生きている人、一人一人全員に当てはまるものだろう。

生きることは自分との戦い。
真の敵は、他人や社会ではなく自分。

私にとって特掃作業は、自分の敵である真の自分が極めて露骨なかたちで現れ、その格闘が自覚できる貴重な場・・・うまく表現できなくて申し訳ないが、少しは分かってもらえるだろうか。

人間の腐敗液に滴り落ちる自分の汗。
静まりかえった腐乱現場に聞こえる自分の荒い息づかい。
それぞれの死を思いながらも、凄惨な汚物に脳が拒絶反応を起こす。
身体に着いた悪臭が、弱い私を自己嫌悪の穴に突き落とす。

今でも、逃げたくなることは何度もある。
気分が落ち込んで、何日も抜け出せないこともある。
「いつかは俺も死ぬんだ」と、開き直る。
そんな負けっぱなしの毎日だ。

自分との戦いはまだまだ続く、生きているかぎり。
最終的な勝敗は死に際になってみないと分からなそうだが、せめて、最期は引き分けくらいで終えたいものだ。




雷     2006.9.12
空は夏から秋へと変わりつつある。
少しずつ過ごしやすい季節になってきた。
こんな時季は大気も不安定。
夏と秋が押相撲をしているようなものか。
あちこちで落雷が発生している。
雷にあたって亡くなる人もいるくらい。
特に、朝の雷は要注意らしい。
秋が夏を寄り切るまでは、しばらくこんな空模様が続くのだろう。

ある家で遺体処置をしていたときのこと。
遺族の中に二十歳前後の男性が二人いた。
二人は私の作業を遠巻きに、もの珍しそうに眺めながら話していた。
回りが静かな分、二人の話し声は誰にも聞こえるものだった。

「お前、仕事を探してんだろ?この仕事やったら?」
「ふざけんなよぉ、やれる訳ねぇだろ!」
「それにしても、よくやるよなぁ」
「だよなぁ」

私の仕事を奇異に思い、嫌悪した会話であることは誰にも明らかだった。
そして、私の耳にも、他の遺族にもハッキリ聞き取れていた。
私は、聞こえていないフリをして作業の手を動かし続けた。
遺族は私から視線を逸らして、それぞれが聞こえていないフリをしているようだった。

私は、誰とも目を合わさないように注意しながら、さりげなく全員の様子を伺った。
気まずそうに下を向いている人、ヒソヒソ話をしている人、ニヤニヤしながら隣の人とつつき合っている人etc、色々いた。

若い二人は、自分達の声の大きさは気にすることなく、話しに夢中になっていた。
二人は故人の孫らしく、従兄弟か兄弟のようだった。
そして、故人を取り囲む遺族の中に二人の親らしき人もいた。

遺族の誰かが、親に合図を送っていた。
さしづめ、「子供達を黙らせろ!」といったところだろう。
親は困った様子ながら、一向に子供達を制止するような行動はとらなかった。

その場は、故人の死を悼む雰囲気が消え、皆が気持ちの置き所を失ったような気まずい雰囲気が漂っていた。

こんなことには何度も遭遇している私だが、その度に色んなことを考えさせられる。
そして、時には不快に、時には悲しく、時には腹も立つ。
そして、今回の場合は残念に思った。

人が頭の中で何を考え、腹の中でどう思おうと、その人の自由だ。
ただし、言葉にして発すると意味は変わってくる。
更に、それが相手に聞こえてしまっては、もうそれは陰口ではない。
言葉が暴力になってしまうこともある。

私は、若者二人から投げられた言葉はほとんど気にならなかった。
そんなの日常茶飯事だし、自分の中にも似たような葛藤が付き纏っているから、他人のことをどうこうと言えた柄ではない。

残念な気持ちは、若者二人の陰に隠れてモジモジしている大人達の姿にあった。
言いたいことがあるのに言えない(言わない)大人達。
言うべきことを言わずして、言わなくていいことを言う大人達。

実は、礼儀・マナーと世渡りのテクニックは相関するものだったりする。
しかし、多く人がそれを相反するものとしているのではないだろうか。

この家の親子に見られたように、今の社会は、親子の縦関係が崩れているような気がする。
横関係、つまり親子が友達のような関係であることが良しとされる風潮になっているということ。

例によって個人的な自論だが、やはり親子関係はキッチリした縦関係であるべきだと思う。
親は子供に言うことをきかせるべきであり、子供は親の言うことをきくべき。
そのためには、楽しいばかりの馴れ合い関係ではなく、厳しさも備えた信頼関係が必要。

厳しくしているつもりで冷たくしてしまうこと、優しくしているつもりで甘やかしてしまうこと、そんなことをやってはいないだろうか。

こんな社会には雷が必要だと思う(自戒も込めて)。
雷親父が落とすデカいヤツね。




ハイ、チーズ!     2006.9.11
写真を撮る時の決まり文句、「ハイ、チーズ」。ひょっとして、今は死語?
とにかく、写真は笑顔がいい。

葬式の時に遺影(写真)を掲げる家は多い。
今や、葬式に遺影を用意するのは常識みたいになっている。
ある程度の年配者になると、自分の葬式を考える人も多く、遺影にも使えるようなきれいな顔写真を撮っておく人も少なくないように思う。

私が知る老人の一人は、毎年の正月に撮る写真を遺影にも使えるように撮影して家族に残している。
正月は毎年キチンと和装をするから、ついでに遺影用の写真も撮っておくのだ。
新年に希望を持ちながらも、自分の寿命を考えて、近いうちに来るであろう死の準備を粛々と整えておく。
こういった心構えを私も見習いたいと思う。

一般的に、遺影の写真は行楽などで普通に撮ったスナップ写真を使うことが多いようだ。
フィルム(ネガ)がなくても大丈夫だし、写真が小さくても着衣が正装でなくても問題はない。
小さく写った顔は拡大できるし、着衣は切り貼りで着せ替えることができるから。
便利な分、何だか味気ないような気もする。

学生時代の友人から食事に誘われた。
招かれた所は、高級とまではいかないが、わりと値段も高めのレストランだった。
勤務先の会社で昇進したらしく、随分と機嫌もよく饒舌だった。
その肩書がついたのは、同期の中でも早い方らしく、本当に嬉しそうだった。
大きな組織で働いたことのない私には分からない感覚だ。
こういう時は、少々おだてて祝ってやるのがマナーなのだろうから、白々しいくらいに誉め倒しておいた。

酔いもまわり、気持ちが大きくなってきた友人は、「今日は俺がおごるから遠慮するな」と、高いワインや食べ物を頼みはじめた。
安い居酒屋しか知らない私は、何がでてくるのかちょっと期待した。

ほどなくして、私達のテーブルに小さな円柱形の木箱がでてきた。
木箱には横文字が入り、全体的に濡れていた。
友人は、慣れた手つきで木箱を開けて中の白い物を取り出した。

「ハイ、チーズ!」
「おー、チーズか!」(旨そう)
「俺、ワインとチーズにはうるさいんだよ」
「食通なんだな」(おだてといてやるか)
「これは○○産の○○チーズで、すごく旨いんだよ!」
「へぇ〜」(高そうだな)
「この匂い、嗅いでみろよ」
「どれどれ・・・グホッ!」(何だ?この臭いは!)
「これを臭く感じるようじゃまだまだだな」
「そうか・・・」(この臭いは・・・)
「んー、いい匂いだ」
「・・・!」(腐乱臭!)
「この匂いがたまんないんだよな!」
「た、確かに・・・たまんないな」(ホントにたまんねぇよ!)
「モグモグ・・・旨い!」
「よかったな・・・」(よく食えるなぁ)
「ん?遠慮しないでオマエも食えよ」
「ああ・・・」(食えない!)
「あれ?ひょっとして、この匂い苦手か?」
「んー・・・あまり得意じゃないな」(慣れた臭いだけど)
「そんなんじゃ、通になれねぇぞ」
「そうか・・・」(通になれなくたっていいよ)
「○○産の○○チーズはな、良質の脂肪分が高くてコクがあるんだよ」
「へぇ〜」(別の物が頭に浮かんでしまう)
「それだけデリケートでな、常温に置いたままにすると溶けてくるんだよ」
「なるほど〜」(分かるような気がする)
「やっぱ旨いなぁ、口に入れると溶けるよ」
「・・・口で溶けるのか・・・」(なんか凄そうだな)
「子供じゃないんだから、オマエも一つくらい食ってみろよ」
「俺はやめとくよ」(子供でもいい)
「もったいねぇな〜めったに食えないのに」
「俺の脳が、食わない方がいいって指令を出してるんだよ」(一生食えなくたっていいよ)
「何?訳わかんねぇこと言うなよ」
「まぁ、鼻と胃の問題じゃなくて、脳が拒否してる訳よ」(脳、No!)
「変なヤツ・・・あー旨かった!」
「御馳走様」(あー臭かった!)
「オマエ、食ってねぇじゃん」
「脳が満腹になったよ」(コイツにも話さない方がよさそうだな)

「でも、ある意味オマエは偉いよなぁ・・・よくやってるよ、その仕事」
「全然、偉くなんかないよ」(色々あるんだよ)
「所詮は、俺の代わりなんて、会社にも社会にもゴロゴロいるんだよ」
「そんなことないだろぉ、オマエは出世頭なんだろ?」(でも、代わりはいくらでもいそうだな)
「でも、オマエの代わりができる人間なんて、そうはいないだろ?」
「だろうな・・・自分で言うのもおかしいけど」(いいこと言ってくれるじゃん)
「いくら金を積まれたって俺にはできねぇよ」
「それが普通さ」(ホントそう)
「死体が腐った臭いってスゴイんだろ?」
「まぁな・・・」(食事の場でその質問をしてくるとは、なかなかいい度胸してるな)
「例えて言うと何の臭いに似てる?」
「んー、食通はそんなこと知らない方がいいと思うな」(オマエが食ったばかりのモノだよ!)
「もったいつけないで教えろよー!」
「聞いて後悔するなよ?」(仕方ない、教えてやるか)
「しない!しない!」
「○○産の○○チーズにソックリな臭いだな」(言ってしまった)
「えっ!?・・・」
「あれ?ひょっとして、その臭い苦手か?」(苦手に決まってるか)
「ゲプッ・・・」
「オマエは食通、俺はショック通」(ハハハ)
「・・・わりー、ちょっとトイレに行ってくる」
「胃の高級チーズを粗末にするんじゃないぞ」(トイレ掃除は得意だけど、俺にやらせんなよ)

写真の話に戻る。
私は、わりと写真に写るのが好きな方だ。
そして、たいていは笑顔で写ることにしている。
たいして楽しい気分でない時でも。
知人の結婚式、新郎新婦と一緒に撮った写真で一番笑っていたのは自分だったこともあるくらい。

写真って、思い出として後から見るもの。
笑顔の自分を見ると気持ちが和むし、ちょっとは楽しい気分になる。
そして、その時また笑顔になれる。

人の笑顔っていいもんだ。
残された人生を歩くときも、来たるべき死を覚悟するときも、満面の笑顔でいたいもんだ。

何でもいいから、まず笑顔。
「ハイ、チーズ!」




俺の靴、世の靴     2006.9.10
身の回りには色々な靴がある。
色んな仕事に、色んな靴がある。

私は、仕事用に三種類の靴を使っている。
一つは遺体処置と遺体搬送用で、黒い革靴。
ホワイトカラーのビジネスマンが履いているような、一般的な靴だ。
もう二つは特掃用の靴だ。
安全靴タイプ(紺)とスニーカータイプ(黒)の二つ。
手袋と違って、靴は使い捨てにはしない。
たまに消臭剤やエタノールをかけたり、そして、すご〜くたまに洗ったりしながら使っている。

そんな特掃靴を、私は時々可哀相に思うことがある。
察してもらえる通り、特掃靴を履いて行く先は、並の場所ではないからね。
見積の時も作業の時も、容赦なく腐敗液の上を歩く。
ウジも潰すし、ハエも踏む。
靴が腐敗粘土に埋もれてしまうことも日常茶飯事。

私は、現場に行く度に思う。
「うわぁ・・・靴がヤバイことになっちゃったなぁ」
「この現場が終わったら、この靴ともサヨナラだな」
でも、作業が終わってみると、「次の仕事を最後にしよう」と思い直す。

情を持っている訳ではないのだが、私の靴は、どんな現場でも一番先に最前線へ突入していく、頼りになる有能な隊員。
まっ先に、しかも誰よりもヒドク汚れるイヤな役回りだ。
そんな靴を簡単に捨てることはできない。
結局、そんなことの繰り返しで、汚い靴を履き続けている。
物を大切にするのはいいことだしね。

思えば、靴によって助けられていることってたくさんある。
靴が汚れてくれるお陰で私の足は汚れないで済むし、靴が痛んでくれるお陰で私の足は痛まないで済む。

承知の通り、私が遭遇する汚れはハンパじゃない。
もし、店に売られている靴に買い手を選ぶ権利があったら、どの靴も私に買われることを拒むだろう。
無理矢理にでも買っさらっていこうものなら、靴は勝手に逃げてしまうかもしれない(靴だけに、逃げ足は速そうだね)。
私に買われた靴は災難だ。

金のため自分のためとは言え、私は世の靴みたいな役割をやらせてもらっている(?)。
そうだとすると、誰よりも汚れること、誰よりも汚い目に遭うことが、靴(私)の役割と存在価値(?)。

そう考えると、私の仕事がある故に、汚れなくて済む人がいるということか。
また、痛まなくて済む人がいるということか。
だとすると、少しは気分も軽くなる。

私の記事には、自分や自分の仕事を卑下するような文が少なくない。
その自覚も持っている。
ただ、決して、自己憐憫に陥っている訳でもないし、自分を謙虚な人間だと誤解している訳でもない(と思う)。
また、謙遜な人間になろうとしているのでもなければ、自分を虐めることに快感を覚えるSM嗜好も持っていない(と思う)。
もちろん、同情や理解が欲しい訳でもない(ホントは欲しいのかな?)。

現実を書こうとすると、おのずとそうなってしまう。
私を取り巻く現実に比べれば、これでも控え目に書いているつもり。
一般の人が想像する以上の戦いが、自分の内にあり、外にあるのだ。
ま、私が置かれている現実を少しは知ってもらうことで、それを知った人が何かの実を採ることができれば幸いだと思う。

この仕事をいつまで続けることになるか分からない。
一生やることになるのか、意外に早く止めることになるのか・・・先のことは誰にも分からない。
でも、やっている限りは世の靴になれるように頑張ろうかな。
汚く汚れて、クタクタになって捨てられるまで・・・

・・・できることなら捨てないでー!!




目・鼻・口     2006.9.9
最近でもたまに遭遇するが、私が死体業を始めた頃は口や鼻から腹水がでている遺体が多かった。

私が「腹水」と呼んでいるものを分かり易く説明すると、「胃に溜まった腐敗体液」、あるいは「胃の内容物が腐敗したもの」。
色は、黄色っぽいものから茶色っぽいものまである。
どれも臭いのだが、色が濃いほどその臭さもキツい。
特掃現場の腐乱臭とはまた違った臭さだ。

腹水が溜まっている遺体は、だいたい腹部が張って口腔から異臭がしている。
腐敗ガスが腹を膨脹させ、それが少しずつ口から漏れているのだ。
経験を積めば、すぐにそれと分かる。
そして、それが分かると未然に腹水トラブルを防ぐ死後処置が施せる。

遺体と対面する時には既に口や鼻から流れ出してていることもある。
または、流れ出てはいなくても、今にも吹き出そうな遺体もある。

腹水トラブルの一つ。
まだ経験が浅い頃は腹水の有無をよく観察せず、不用意に遺体を動かしてしまい、口から腹水を噴出させたことが何度かある。
更には、その様を目の当たりにした私も「もらいゲロ」に似た感覚でオエッ!となってしまうことも。
遺族の前でこれをやってしまうと、非常にマズイ。
遺体の口から臭いガスと茶色い液体がグシュグシュ!ブシュブシュ!と音をたてて吹き出す様を想像してもらえると分かると思うが(想像できる訳ないか)、辺りには悪臭が充満するし、遺族もビックリ!して遺体を怖がるようになってしまう。
もっとヒドイ場合は、口な鼻の中に小さなウジが這い回っている。
彼等は、口や鼻の内腔を食っているのだ(これは想像しない方がいいと思う)。

また、目から体液が流れていることもある。
これがまたいけない。
遺体が涙を流している訳でもないのに、遺族には泣いているように見えてしまうからだ。
その状況は、遺族の悲嘆に追い撃ちをかけてしまう。

私の場合、「故人が泣いている」と言って悲しむ遺族にはあえてクールな説明をする。
「あくまで、死後変化の一過程」と。
神経を弱めている人に霊的な話や精神論は禁物だし、こんなケースではそんな無責任なことを言ってはいけないと思っている。

しかし、そこで目から流れる体液を止められなければ何の意味もない。
口ばかり達者で、理屈ばかり通しても遺族の悲嘆を軽くすることはできない。
やはり、口にも勝る経験と技術が肝心。
こういった遺体のトラブルを防ぐためにも、キチンとした技術を用いた死後処置を施しておくことが大切である。

一見、可哀相な事をしているような感を受ける死後処置の作業。
自分でやっていて痛々しく思えることもある。
ただの自己弁護かもしれないが、同じ仕事をするにも故人を思いやる気持ちを持っているか否かで、死体業の価値が大きく変わってくると思っている。

一般の人には、その辺のところがなかなか理解してもらえないんだけどね。

まぁ、どんなに考えたところで、目から涙・鼻から鼻水・口から唾がだせているうちのことか。




真友(後編)     2006.9.8
汚染部分の解体撤去から出た廃材を片付ける私に、依頼者の男性は意外なことを質問と依頼をしてきた。

「そのゴミはどうするのですか?」
「可燃ゴミですから、焼却処分します」
「もっと別な処分方法はありませんか?」
「?・・・リサイクルはできませんし・・・廃棄物ですからねぇ・・・」
「この廃材も、○○さん(故人の名前)の身体の一部のような気がして、ゴミとして捨てるのは偲びなくて・・・」
「んー・・・あとは、遺品の類でしたら、供養処分することがありますが・・・」
「そうですか!でしたら、その供養処分をお願いします」
「え!?費用が余分にかかりますよ」
「大丈夫ですから、供養して下さい」

故人の愛用品や人形・布団、仏壇などの供養処分を依頼されることは多いが、廃材のそれを頼まれるのは極めて珍しい。
さすがに不思議に思って、そこまでやる理由を尋ねてみた。

「○○さんは強く・厳しく、まるで姉のような人でした・・そして、誰よりも優しかった」
男性は抱える事情を話し始めた。

かつて、男性は自分で商売をしていた。
景気のいい時代もあり、その頃は仕事も遊びも充実し、他人にも気前よく楽しくやっていた。
交友関係も広く、親しい友人もたくさんおり、更に色んな人が男性と仲良くなろうと近づいて来た。
故人もその時代に知り合った一人だった。

ところが、ある時から不況の闇雲が立ちこめ始め、次第に商売にも陰りが見え始めた。
同時に、経済的にも精神的にも行き詰まっていった。
そして、それに合わせるように、今までいい顔ばかり見せていた友人達も離れていった。
肩書も金も失っていく男性のもとから、友達・仲間だと思っていた人々が去ったのだ。

「世間は冷たい」
「頼れる者は自分だけ」そんなことは商売を始めた時から肝に命じて、シビアにやってきたつもりだった。
しかし、現実の厳しさはその時の覚悟を越えていた。
自分がその境遇に置かれてみて、世間の本当の冷たさを知った。
みんな、自分個人(人格)ではなく、自分の持つ肩書(社会的地位)と金(経済力)になびいていたに過ぎなかったことを痛感。

それを知って愕然とした。
人間不信に陥った。
強い虚無感に襲われた。
先のことが考えられなくなり、自殺願望にも囚われた。

しかし、故人だけは違った。
何も変わることなく、損得を抜きにして、以前と同じように付き合ってくれた。
そればかりか、金銭的にも精神的にも随分と支えになってくれた。

結局、男性は取り返しがつかなくなる一歩手前で商売をたたんだ。
その決断には勇気が要った。
それも、故人が後押ししてくれなかったら決断できなかった。
あのまま商売を続けていたら、本当に首をくくることになっていたかもしれない。

男性は故人に返しきれない恩を感じていた。
借りた金も、全額は返しきっていないようだった。
そして何よりも、故人が腐乱死体になるまでその死に気づかなかった不義理を悔やんでいた。

せめてもの罪滅ぼし・恩返しのつもりで、この腐乱現場の片付けと故人の供養を担ったらしい。

いちいち息子を伴っている理由も、その辺にあった。
息子にも、自分の弱さ、故人の強さ、世間の冷たさ、真友の温かさを教えたかったようだった。

今は亡き故人は、死んだ後も男性に大切なものを与え続けていた。

親友をたくさん持つ人は多いだろうけど、はたして、その中に真友はどれだけいるだろうか。
今の肩書と金を失っても、変わらず付き合って(助けて)くれる友はどれだけいるだろうか。

また、相手の社会的地位や経済力が変わっても、何も変わることなく付き合える(助けられる)自分であるだろうか。

幸か不幸か、私は別の面で世間の冷たさを知っている(そう言う私も世間の一人)。

そして、今の私には肩書も金もない。
その分?友達・またはそれらしき人も少なく、極めて狭い人間関係の中で生きている。
みんなが自分を守ることに精一杯、戦々恐々としている世の中で、たいした人格を持たない私には、それが合っているのだろう。




真友(前編)     2006.9.7
初老の男性から特掃の依頼が入った。
現場は古いマンション、トイレで腐乱していたらしい。
故人は年配の女性で身寄りがないらしく、依頼者の男性は「生前の故人に世話になった者」ということだった。

腐乱場所が風呂やトイレの場合、かなり酷い状態になっていることがほとんど。
私は、今までの経験から、相応の覚悟を持って現場に向かった。

依頼者の男性は、その息子と現場に現れた。
息子は、そこに連れて来られた意味が分からなそうにして戸惑いの表情を浮かべていた。
そして、腐乱現場にはビビっているようだった。
臆せず部屋に入る私と男性、息子はその後ろを恐る恐るついて来た。

男性との世間話から、故人は生涯独身・子供もなく、今で言う「キャリアウーマン」だったことが伺えた。
故人が女性と分かり、急に男性との関係が気になり始めた下衆な私だった。

さて、汚染場所に案内された私は驚いた。
予想していた状況とは逆で、軽い腐敗臭はするものの腐敗液・腐敗粘土の類が見当たらなかったのだ。
明らかに誰かが掃除をした後だった。

「ここで亡くなっていたんですよ」
と、男性はトイレと脱衣場を指しながら、
「でも、発見が遅れてしまって・・・」
と、後ろめたそうに言葉を濁した。

確かに、よく観察すると木部にシミや隅々に汚染痕が確認できた。
しかし、そこは私の出る幕ではないくらいに掃除されていた。

「ここは清掃されてますよね?」
「ええ」
「どなたが掃除されたんですか?」
「私です」
「!・・・よくここまできれいにされましたね」
「いえいえ・・・」
「大変だったでしょう?」
「でも、私にはやらなきゃいけない訳がありますから・・・」
「?・・・ところで、私は何をやればいいですか?」

私は、男性が掃除したと聞いて感心した。
汚染痕から想像するに、ライトな腐乱だったとは思えなかったし、その清掃作業の大変さは誰よりも分かっているので。
男性が一人で掃除している姿を思い浮かべると、ホント、頭が下がる思いだった。

男性の要望は、腐敗痕と腐敗臭を完全に消して欲しいとのことだった。
これ以上の清掃もあまり効果を期待できず、「要望に応えるには汚染箇所の解体撤去しかない」と判断、その旨を伝えた。
併せて、その費用を誰が負担するのかも確認(私にとっては大事なことなので)。
費用は全て男性が負担するとのことだった。

「清掃作業といい費用負担といい、身内でもないのにそこまで負うとは・・・」
ちょっと不思議に思った。
そして、嫌がる?息子をわざわざ連れて来ている訳も。

「何か、相応の事情があるんだろうな」
下衆の勘繰りに拍車がかかった。

数日後、汚染箇所の解体撤去を行う日。
男性は、また息子を伴って来た。

ビニールクロスを剥がしてみると、その下のベニア板には腐敗液が生々しく染み着いていた。
一時的に濃い腐敗臭が甦った。
ま、これはよくある状態。
壁も一部壊す必要があった。
隅々や細かい隙間にウジが潜んでいることがよくあるのだが、幸いここでは彼等と会うことはなかった。
汚染箇所を切り取るような作業は、特掃というより内装工事に近いものだった。

作業も終盤、悪臭のする廃材を片付ける私に、男性が意外なことを言ってきた。

つづく




年輪     2006.9.6
遺体処置業務で、ある家に訪問した。
一般的な先入観を持って行くと悲しみに包まれているはずの家だった。
しかし、その家は違った。

無邪気な子供達が、場もわきまえずに走り回ったりして大騒ぎ。
大人達は、久し振りに会った人達とのお喋りに夢中になり、誰も子供達を制止する人はいない。
葬式につきものの辛気臭い雰囲気はどこにもなかった。
ま、その方が仕事をしやすい。

故人は年配の男性。
どことなく笑っているような、安らかな死顔だった。
一人の孫と故人の奥さんが遺体の傍についていた。

小学校高学年くらいのその孫が奥さん(祖母)に色々と質問をしていた。
そのやりとりを、私は作業をしながら黙って聞いていた。

Q:「死ぬ時は苦しいの?」
A:「苦しくないよ」「お祖父ちゃんだって笑ってるでしょ」
Q:「死んだらどうなるの?」
A:「みんな好きな場所に行くんだよ」「天国に行く人が多いね」
Q:「淋しくないの?」
A:「天国にもたくさんの人がいるから淋しくないよ」
Q:「おばあちゃんは、死ぬのが恐くないの?」
A:「恐くないよ」「おじいちゃんが居てくれるからね」
Q:「人は何故死ぬの?」
A:「・・・」

女性は答に詰まったのか、わざと答えなかったのか分からなかったが、黙ったままだった。
気になった私は手を止めて女性の方を見た。
すると女性は、故人の手を握りながら「何故、人は死ななきゃならないのでしょうね」と、私に尋ねてきた。

いきなりの質問、しかも難しい質問を投げ掛けられて、私は少し焦った。
少し間を置き、「あくまで自論ですが・・・」と前置きしてから静かに答えた。
「まず、自分(人)の無力さを知るため」
「そして、命が価値あるもので在るため」
「・・・私は、そう思っています」

「・・・そうねぇ」と女性。
孫は不可解そうな顔をしていたが、女性は微笑みをながら聞いてくれた。

正解のない質問に素直な気持ちで応えだだけ、若輩者のだだの自論だった。
だけど、女性は異を唱えることなく聞いてくれていた。
歳を重ねているが故の余裕のような包容力を感じた。

「この歳になっても、この人(故人)と死に別れることなんか夢にも考えていなかった」
「この人は、死なないような気がしていた」
「二人で楽しい人生だった」
女性の胸の内を聞いて、黙って頷いた私。
人生の先輩からの重い言葉だった。

樹に年輪があるように、人にも年輪があるのだろう。
子供にも老人にも、それぞれに命の価値と生き様がある。

「老いを笑うな我が行く道、子供を叱るな我が来た道」
昔、誰かが私に教えてくれた言葉を思い出す。




人間のクズ     2006.9.5
この季節、朝夕には鈴虫の声が聞かれるようになってきた。
昼間は、まだ蝉が威勢よく鳴いている。
蝉は数年間、陽のあたらない地下生活をした後、最後の一週間だけ明るい地上にでて最期の時を燃焼・満喫するらしい。

蝉の一生には自分と重なる部分がある。
今は陽のあたらない生き方をしている私だが、いつかは陽のあたる明るい日が来るもしれない?
でも、仮にそんな日が来ても「長続きはしない」と思った方がいいかもね。

特掃の依頼が入った。
現場は古い一戸建、埃をかぶった生活用品(ゴミ?)が山積み状態。
昼間なのに家の中は薄暗く湿っぽい感じで、どことなく不気味な雰囲気だった。
いつもの様に私は、誰にでもなく「失礼しま〜す」と言いながら奥へ進んだ。

汚染場所は奥の和室だった。
汚腐団は、例の木屑のような茶色の粉(以降、腐敗屑と呼ぶ)に覆われ、所々に小さな山ができていた。
「死後2〜3ヶ月経過」「遺体は白骨化」ということは聞いていたので、この状況は想定の範囲だった。

周辺にはウジの死骸が無数に散乱(ハエの死骸は少なかった)。
前にも書いたが、ウジの死骸はサクサクの菓子のよう。
具体的に説明すると、柿の種と米菓子をかけ合わせたみたいなもの(分かるかなぁ)。
それをサクサクと踏みながら、更に近づいてみた。

すると、腐敗屑の中に無数の何かがシャワシャワと動いている。
「ん!?」
更に近づいてみると、それは得体の知れない虫の大群だった。
世間では見たこともない虫、名前も分からないその虫は、腐敗痕の上を腐敗屑と混ざり合いながらワサワサと動いていた。

「何だろう、この虫は・・・」
「ウジ・ハエを前座に、真打登場か?」
私にとっては「気持ち悪い」というより「興味深い」光景だった。
子供がカブト虫でも眺めるみたいに、私は目を輝かせて?しばらくその虫を眺めていた。

しかし結局、それが何の虫で、何のために居て、何をしているのかは分からなかった。
ずっと眺めてばかりいても仕方がない。
私は見積作業を開始した。

特掃作業は翌日になった。
ウェットな現場が大半の特掃業務、乾いた汚染箇所を片付けるのは新鮮だった。
気のせいか、熟成された腐敗臭もやわらかく感じられた。
私は、得体の知れないその虫と腐敗屑とを一緒にすくってサラサラと汚物袋に入れた。
腐敗屑には頭髪が絡み合っており、この原形が人間だったことを思い起こさせた。

腐敗屑は、腐敗液や腐敗粘土とは違って簡単にすくい取ることができ、爽快感すら覚えたくらい。
生きていても死んでいても、湿っぽいよりカラッと乾いていた方がいい。

ここでは当然、畳や床板もバッチリ汚染され腐っていた。
でも、これらも乾いていたので作業はしやすかった。
それらも全て撤去し、作業は無事に終了。

私はこの仕事を通じて、「人間も、腐って虫に食われれば屑になるんだな」としみじみ思った。
そして、屑になった人体は風に吹かれて消えていく。

現在の埋葬法では無理な相談なのだろうが、自分が死体になった時も、焼かないで自然の腐敗にまかせてほしい。
虫にたかられたって、虫に食われたっていい。
孤独死+腐乱では困るけど。

死んだら、私も人間の屑になりたい・・・
え?死ぬ前にもうなってる?




残り香(後編)     2006.9.4
うちは死体業が本業なのだが、たまに死体に関係ない仕事も入ってくる。
ゴミの片付け、消臭・消毒、害虫駆除etc。

今回のハウスクリーニング業者が依頼してきたのは消臭。
消臭は成果が目に見えないので、簡単にはできない仕事である。
特掃とは違った難しさとプレッシャーがある。

現場は今風のアパート。築年数も浅く、見た目にもきれいな建物だった。
相談してきたハウスクリーニング業者とは、建物の前で待ち合わせて一緒に部屋に入った。
私とは違って、腐乱死体のことは夢にも考えていないようだった。

部屋の中も見た目にはきれいだったが、確かに異臭がした。
軽い異臭なのだが、その臭いを嗅いだ途端にピン!ときた。
予想していた通り、腐乱死体臭と酷似していたのだ。
そして、部屋の細部を観察すると、更にピン!ときた。
極めて目につきにくい所々に、妙な汚れ痕がある。
私は内心で腐乱死体現場であることを断定した。

しかし、私はすぐにはそれを伝えなかった。
自信がなかった訳ではなく、問題が大きくなるのを避けるために。

ハウスクリーニング業者は、ある程度の改装が済んだ後の仕上げクリーニングだけをやるためにこの部屋に呼ばれているので、腐乱現場の可能性があることは全く知らず、考えてもいない様子だった。
念入りに観察するフリをしながら「これからどうしよう・・・」と思案した。

私は一旦外に出て、この物件を管理している不動産会社に電話した。
そして、この部屋に何か特別な事情がないかをそれとなく確認した。
始めは、何も言いたくなさそうにとぼけていた不動産会社も、私が死体業者である素性を明かすうちに態度が変わってきた。
そして、「私は10年以上も死体の臭いを嗅ぎ続けているんで・・・」の一言に真実を話し始めた(私のような者の存在に驚いたんだと思う)。

やはり、この部屋は腐乱死体現場だった。
遺族が自力で清掃して、素人目には気づかないくらいまできれいにしたらしい。
近隣住民に知られることを最も警戒しながら。
確かに、素人だったら気づかないであろうレベルまできれいになっていた。
元々の汚染度も軽かったのだろうけど。

しかし、腐敗臭はそう簡単に片付くものではない。
不動産会社は腐乱現場であることを伏せたうえで、ハウスクリーニング業者に作業を外注したのだった。
そして、手に負えなくなったハウスクリーニング業者がうちに相談してきた訳。

一口に「消臭」と言っても、「特掃+消臭」or「消臭のみ」では、はるかに「消臭のみ」の方がやりにくいし、やりたくない。意外?
清掃後だと、汚染箇所や汚染度、汚染物質が特定できないからだ。
今回のようなケースがまさにそう。

更に悪いことに、この部屋には中途半端な内装リフォームが入っており、余計にやっかいだった。

不動産会社は、近隣住民に事情が知れるのを避けたいようだった。
確かに、腐乱死体が原因でアパート一棟が丸ごと空部屋になってしまうことも有り得る。
仮にそうなっても、新しい入居者は獲得しにくいし。
それを考えると、不動産会社が受ける打撃と秘密したい気持ちは容易に察することができる。
しかし、商売を優先するあまり、他の住人に対して秘密にしたままで処理するのは不誠実だと思った。

ハウスクリーニング業者には適当なことを言って、その後の作業を引き継いだ。

翌日になって私が出した結論は、「内装全解体」「それができないなら、この仕事に責任は持てない」というものだった。
結果、見積も結構な金額になった。
不動産会社からの返答は、「検討してから連絡する」というものだった。

それからしばらくして、忘れた頃に連絡が入った。
「なかなか結論がまとまらないので、あの部屋はしばらく空部屋のままにしておく」とのことだった。
「まぁ、それもベターな選択かもしれないな」と、私は思った。
他の住人に知らせたかどうかは知らないが。

まったく、腐敗臭というヤツは人々を困らせる。
私の身体にも、腐敗臭の残り香があるだろうか。
たまには、女性の移り香でも残してみたいものだ(冗談)。

エロい話には無縁な私、グロい話ならたくさん持っている・・・腐るほどね。




残り香(前編)     2006.9.3
死体業をやるうえで臭覚は大事。
ある程度は臭いを嗅ぎ分けられないと仕事にならない。
基本的な部分は臭気測定機でもクリアできるが、やはり最終的には自分の臭覚が頼りになる。
また、臭覚には大きな個人差があることを理解しておくこともポイント。

ちなみに、私は自分の臭覚は標準レベルだと思っている。
あまり鋭い臭覚を持っているど、かえって仕事の障害になるかもしれない。
なにせ、いつも私が嗅いでいる腐敗臭はハンパじゃなく臭い!ので、鋭い臭覚を持っていたらそれだけでダウンしてしまうかもしれないから。

ホント、希望する読者がいたら一度は嗅がせてあげたいくらいだ。
惰性の(退屈な)生活には、抜群のカンフル剤になるかもよ!

私の仕事には、悪臭とウジは当然のつきものである。
いちいち言うまでもないことなので、最近は記述することを省略しているが、ほとんどの現場がそれらも含まれていることを承知して読んでもらえると幸い。

話を戻そう。
臭気測定機では臭いのレベルしか測ることができず、その内容まで追うことができない。
更には、メンタルな臭気はとうてい測ることはできない。

「メンタルな臭い」とは、臭気測定機は通常値を示し、更に私の臭覚でも問題のないレベルになった現場においても「まだ匂うような気がする」と言われるケースのこと。

このケースに当てはまりやすいのは近隣住民と賃貸物件の大家。
腐乱死体から受けた精神的なショックから抜け出せていない証拠でもある。
こういう人がいる場合は過剰なくらいの消臭作業を行い、同時に丁寧な説明が大事になる。
作業効率ばかりを優先してそれを怠ると、逆に作業効率を落とすことになりかねない。

片や、依頼者や遺族は少々の匂いくらいだったら「匂わない」とするケースが多い。
身内(関係者)が腐乱死体になったことを過去のものとしてさっさと葬り去りたいのだろう。

こういったケースでは、当然、私は客観的な感覚と第三者的な立場をキープしなければならない。
お金をくれるのが依頼者側であっても、できるだけ客観公正なスタンスで臨む。
それが、結果的に依頼者のためでもあるから。

ある時、ハウスクリーニングの専門業者から問い合わせが入った。
賃貸物件の引越後をクリーニングする会社だ。

「何の臭いだか分からない」
「どこから臭うのかも分からない」
「とにかく変な臭いがする」
「何とかならないか?」
と言う相談だった。

「出番かな?」
私は、イヤ〜な予感を抱えながら現場に向かった。

つづく




出会いと別れ     2006.9.2
人生は色んな人との出会いと別れの繰り返しである。
私が書く「別れ」だからといって、なにも死別とは限らない。
別れの中の死別はごく一部。
学校・仕事・生活etcを通じて色んな人との出会いと別れがある。

考えてみると、私のような者でも、数えきれない人達との出会いと別れを経ている。
その中でも、一生を通じて付き合える人とはなかなか出会えないでいる。
「この人は一生の友だ!」「ずっと仲良くしていたい!」と、熱くなっていてもそれは一過性のもの。
一時期、どんなに仲良くしていても、学校・会社・住居などの所属コミュニティーを異にすると、またそれぞれに新しい出会いがあって、旧来の人間関係は次第に希薄になっていくパターンが多い。
特に、それ自体が淋しい訳ではないが、人との出会いに早々と別れ想像してしまう自分にどこか淋しさを覚える時がある。
こんな私と同じような経験を持つ人は、少なくないのではないだろうか。

私の場合は生きている人と同じくらい、いやそれ以上に?死んだ人との出会いが多い。
おかしな表現だか、出会う前に別れていると言った方が正確かもしれない、そんな出会いだ。

ある日の午後、特掃依頼の電話が入った。
故人の遠い親戚からだった。
他の仕事を抱えていた私が現場に着いたのは夜だった。
外はもう完全に暗くなっていた。

現場は狭い路地の奥、古い木造アパート。
玄関ドアの前に立っただけで、いつもの腐敗臭がプ〜ン。
私は、教わった場所の隠しキーを使ってドアを開けた。
中はかなり暗くて、珍しく不気味さを覚えた。
例によって余計なことは考えないよう努めて私は中に入った。

とりあえず、電気ブレーカーを上げて明かりをつけた。
余談だが、このブレーガーがやたらと落ちやすくて困った。
いきなり落ちて部屋が真っ暗になる度に、心臓が止まりそうになった。
「故人の仕業か?」と、余計なことを考えてしまったものだから、そりゃもう大変だった。

さて、いつもの腐乱現場を想像していた私は驚いた。
床を埋め尽くす程のウジ・ハエの死骸はいいとして、汚腐団が木屑のような粉状のもので覆われていたのだ。

「ん?この状態は前にもどこかで見たことがあるぞ」
よく思い出してみると、死後経過日数がかなり経っていた現場だった。

私は依頼者に電話して、警察が推定した死後日数を尋ねてみた。
「約二ヶ月」
「白骨化していた」
依頼者の返答自体には驚かなかったが、「なんで、そこまで発見が遅れたんだ?」と、そっちの方に驚いた。
現場は住宅が犇めき合っているような所で、同じアパートにも住人はいるのに。
近隣には、随分前から悪臭が漂っていたはずなのに、誰も関わろうとしなかったのか・・・。

私も無用な人間関係を煩わしく感じる(敬遠する)タイプなので、近隣住民を「冷たい」と批判する気持ちは毛頭ない。
ただ、「腐乱臭によく我慢できたな」と、そっちの方に感心した。
他人と関わるより腐乱臭を我慢した方がマシだったのか・・・?

都市部を中心に「地域社会」というコミュニティーも崩れてきているのは事実だと思う。
私もそれに加担している一人。
これも、時代の流れか。
日本は人口が少なくなっていく傾向にあるようだし、人同士の関わり方も浅いものになっている。
その分、出会いと別れの機会もだんだんと少なくなっていくのだろうか。

時が経ってみると、「あの人と出会えてよかった」と思うことより「あの死体と出会えてよかった」と思うことの方が多い現在。
あくまで、「時が経ってみると・・・」だが。

残された人生にも、色々な人・死体との出会いと別れがあるだろう。
それが、いい出会い・いい別れであって欲しいと思う。

そして、死体との出会いがない人が可哀相でもあり羨ましくもある。




夏の終わりに     2006.9.1
暦はもう秋、朝晩は涼しさを感じるようになってきた(気持ちいい)。
今日から9月である。

毎年のことだが、夏は特掃業務が更に過酷になる季節。
現場も凄惨を極める。
そんな現場で汗と脂にまみれて働く。
腐敗液に自分の汗が滴り落ちるのを見ながら、神妙なことを考えたり、自分を励ましたり、くだらない事を考えたりする。。
やけに哲学的になってみたり、センチになってみたり、バカになってみたり。

どうしようもない時は外に出て小休止。
荒くなった呼吸と心臓の鼓動、脳ミソを落ち着ける。

そんな夏も終わろうとしている。
今年の夏もいい?思い出がたくさんできたが、リアルタイム過ぎて紹介できないのが残念。

私は、今までに何体もの死体に会ってきた。
何件もの腐乱現場に遭遇してきた。
病死・事故死・自殺・自然死etc・・・。
死に方にも色々ある中で、そんな私が今まで一体しか扱ってない遺体がある。

「何?」と思われるだろう。
「他殺体」である。
私が20代の頃だから、もうだいぶ前の話になる。

当時は大きなニュースになったので、ここでも詳しい表記は控えるが、故人(被害者)は20代前半の学生だった。
楽しい夏休みの最中、惨劇が襲った。
犯人の末路を見ても、とても「一件落着」とは思えない事件だった。

遺体には大きな解剖痕があった。
遺族の要望で、生前に袖を通すことがなかったお気に入りの服を着せた。
作業中、遺族が立ち会っていなかったことで、若輩の私は余計なプレッシャーを受けずに落ち着いて仕事ができた。
遺族に何と声を掛けていいのかも分からなかったし。

子供や若者には、いい意味で無責任に生きられる特権が与えられている(代わりに責任を背負っている人がいるのだが)。
比較的、自由に生きられる特権だ。
人を悲しませない範囲であれば、その特権を自由に行使していいと、私は思う。
そこに若年の輝きが見えるから。

故人も、一人の若者として学生生活を謳歌していたことだろう。
楽しい夏休みを最期に、人生の幕を閉じることになることなんか知る由もなく。
そして、9月1日の新学期を迎えることなく突然逝ってしまった。

「人生って、いつ何が起きるかホントに分からないものだ」
と、あらためて痛感した時だった。
そして故人に、何故か犯人にも深い同情心が湧いてきたのを憶えている。

いつ何が起こるのか分からないのが人生だけど、いつ何が起こっても素直に受け入れることができる器量が欲しい(無理かな)。
苦しいこと・辛いこと・悲しいことは有限、気持ちいいこと・楽しいこと・嬉しいことは夢幻の人生なのだから。

夏の終わり、9月の曇空を見上げながら、先に逝った人達に想いを馳せる。




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