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追い詰められて 〜怠け者の苦悩〜    2006.11.29
私は、幼い頃から怠け者である。
元来、努力・忍耐・勤勉には無縁の私は、何をやるにも面倒臭がってしまう。
面倒臭がらずにできることと言えば、食うことと寝ることぐらい。
特掃がない日は、風呂に入るのも面倒臭い。
若いころには、面倒臭がらずにできることがもう一つあったけどね。
んー、我ながら情けない。

怠け者の私は、だいたいのことは追いつめられないとやらない。
何をやるにも、前倒しより後手後手。

学校の宿題やテスト勉強も、面倒臭くてなかなか手をつけることができないタイプだった。
それでもまだ、着手すればマシな方で、怠け心に負けて全然勉強しないことも多かった。
更に、自分一人で開き直っているのならまだしも、末期になると他人(友人)をも巻き込んで堕落していた。
「実社会で生きていく上で、学校の勉強がどれほど役に立ち、どれほど重要なものか、はなはだ疑問に思う」
等と吐いて、勉強嫌いな友人をこっちサイドに引きづり込んでいた。
典型的な劣等生だ。

特掃業務においても、「面倒臭えなぁ」と思うことがたくさんある。

作業を終えて帰って来ると、道具・備品類をきれいにして片付けなければならない。
これが結構面倒臭い!
ただでさえ疲れて帰って来るのに、その後まだ道具類の掃除をしなければならないなんて、かなわない。
しかも、普通の汚れじゃないんで、なかなか手間がかかる。

腐敗液の主要構成物質の一つに脂がある。
一度この脂が着いてしまうと、なかなか落ちない!
実質は、食用油や工業用油と大差ないのだろうが、腐敗脂はなかなかきれいに落とせない。
汚いモノにでも触るかのように、オヨビ腰でやるからだろう。

しかし、道具類を使いっぱなしで放置しておくと、自分で自分の首を締めることになる。
一番恐ろしいのは、自分でも気づかないうちに腐敗液が素肌に付着してしまうこと。

「ん?なんか臭えなぁ」
と思っていたら、手や腕に腐敗液が着いていたなんてことがある。
「ギョエーッ!早く拭かなきゃ!消毒!消毒ーっ!」

こんな仕事をしていても、私は、わりと潔癖症なのである。
我ながらおかしい。

他に面倒臭い作業と言えば、階段の上下がある。
現場が、団地やマンションの場合だ。
エレベーターのない建物はもちろん、エレベーターがあっても使用を許してもらえない所も少なくない。
運び出すモノがモノだけに、住民からも嫌悪される訳だ。当然だろう。
そんな現場はかなりキツい!
肉体的にハードなのはもちろん、精神的にもいたたまれない。
近隣住民からの好奇・嫌悪の視線を浴びながら作業しなければならないからだ。
これも結構キツい!

でも、請け負った仕事に逃げ道はない。
追いつめられた状態で荷物を持ち、階段をひたすらUpDown。
まるで、筋力トレーニングでもしているかのような作業が続く。
しかも、私は荷物を身体から離して持つ習性があるため、腕力も余計に必要。
それが、涼しい時季ならまだしも、暑い夏にこの作業は過酷だ。
滝のように流れる汗と膝の感覚麻痺に、意識が遠退いていきそうになる。
怠け者は苦悩する。
腐乱現場を少しでも楽に片付けるため、少しでも人の視線を浴びないために。
しかし、考えても得策はない。
結局は、足元に垂れる汗を踏み、「ヒーヒー」言いながら、黙々と身体を動かすだけ。
人と視線を合わさないように、時々空を仰ぎながら俯いて地道に働くだけ。

追いつめられた状態では、怠け者も働かざるを得ない。
追いつめられた状態でも、死なないうちは生きなければならない。

そして、今日もクタクタになった身体を奮い立たせ、人の死に様を消していく。




曇時々雨、のち夕焼け    2006.11.25
もう、随分と前の話になる。
死体業を始めて間もない頃、私が20代半ばの頃の話だ。

曇時々雨の下、遺体処置のため、ある家に出向いた。
故人は中年男性、死因は肺癌。
遺体特有の顔色の悪さとノッぺリした表情はありながらも、痩せこけた感もなく、外見だけは健康そうに見える男性だった。

家族は奥さんと中学生と小学生くらいの子供二人。
三人は私に対して礼儀正しく、感じのいい一家だった。
故人のそばに正座し、静かに私の作業を見ていた。
そこには重苦しくないながらも厳粛な雰囲気があり、遺族の毅然とした態度から、夫・父親が亡くなったことへの悲しさへ立ち向かおうとする姿勢が伝わってきた。

奥さんは、作業を進める私に物静かに話し掛けてきた。
故人は、会社の健康診断で肺に陰が写ったらしく、精密検査を受けたところ肺癌が発覚。
その時は既に、かなり進行した状態だったとのこと。
余命宣告に絶望しながらも、数少ない回復事例に希望を託して病魔と戦った。

しかし、みるみるうちに体調は悪化し、たった半年余で逝ってしまった。
危篤になってからの苦しみようは家族としてとても見ていられるものではなく、意識が戻らないことを覚悟で最後は強いモルヒネを打ってもらったとのこと。
家族にとっては、断腸の思い、辛い決断だったことだろう。

そんな話を聞きながら、作業を進めた。

遺体は、身支度が整えられると、柩へ納められることになる。
そして、柩に納まってしまうと、もう二度と故人の全身の姿を見ることはできなくなる。
納棺する直前、故人の最期の姿をよく見ておいてもらうため、私は一旦部屋から外にでた。

雨はやみ雲もはれ、空にはオレンジ色の夕焼けが広がっていた。
「きれいな夕焼けだなぁ」
「今日の仕事は、これでおしまいだな」
と、呑気なことを考えた。
すると、私が退室するのを待っていたかのように、家の中から声が聞こえてきた。
私(野次馬)は、耳を澄ました。

「お父さん・・・お父さん・・・」
「三人で仲良く力を合わせて生きていくから、心配しないでね・・・」
家族三人が泣いている声だった。

「故人は、昨日は生きていて、今日は死んでいる・・・」
「昨日はいたのに、明日にはいない・・・」
「時間は、何もなかったのように過ぎていくだけ・・・」
「故人も、かつてはこの場所からこの夕焼けを見ていたんだろうなぁ・・・」
私は、斜め上の空に広がる夕焼けを眺めながら、そんなこと思いを巡らせた。

中からの泣き声が落ち着いた頃、私は部屋に入っていった。
そして、家族と一緒に故人の身体を柩の中へ納めた。

我慢できなかったのだろう、三人はポタポタと涙を流して泣いていた。

一連の作業が終わり、帰途につくため私はその家を出た。
空の夕焼けは、燃えているように紅さを増していた。

奥さんは、玄関外まで見送りに出てくれた。
そして、憔悴した面持ちで言った。
「私達は、これからどうすればいいんでしょうか・・・」
「・・・」
「夕焼けか・・・明日は、きっと晴れますよね」
「ええ、多分・・・」
そんな言葉を交わして、私は現場を去った。

あれからしばらくの時が過ぎた。
三人の家族には、どんな人生が待っていただろう。
すぐに笑顔を取り戻して、仲良く暮らしただろうか。
奥さんは、二人の子供を抱えて苦労しただろうか。
二人の子供は立派に成人し、母親を支えているだろうか。

今日の東京は快晴だった。
そして、あの時と同じようにきれいな夕焼けが見えた。
あの家族の家からも、同じように見えたに違いない。

「明日は、きっと晴れますよね」
別れ際にそう言った奥さんの言葉の意味が、この歳になってみて初めて心に染みてくる。




追いつめられて 〜臆病者の根性〜    2006.11.27
私は、幼い頃から臆病者である。
もっとも、何をもって臆病者とするかは曖昧なものだが。
ま、今回はその辺には触れないで話を進めるとしよう。

その昔、私は、同年代の子が怖がらないようなもの(こと)も怖がっていた。
結構な弱虫だと自認している。
今でも、恐いもの・恐いことがたくさんある。
中でも、人が一番恐いかも。

人は、人を悩まし・苦しめ・キズつける。
もちろん、マイナスなことばかりではない。
人は、人を楽しませ、助け、幸せにする。
それでも、私は「人って恐い」と思う。

私は、人の何を怖がっているのだろうか。
まずは、その力。
暴力・経済力・社会的な力etc。
それから、その精神。
怒り・妬み・恨みetc。
そして、今までのブログにも何度となく書いてきた・・・そう、人の目(評価)だ。

「人からよく見られたい!」という自己顕示欲が強くて、時には見栄を張ったり、時には虚勢を張ったりする。
でも、残念ながら実態がともなっていないから、そんなことからは虚無感・空虚感しか得られない。
それなのに、また懲りずに見栄と虚勢を張っては虚しさを覚える日々を繰り返している。

人の目を気にせずに生きられたら、どんなに楽だろうか。
そうは言いながらも、今日も私は人に好印象を与えるべく、社交辞令と建前を駆使しながら無駄な抵抗をしている。
そして、なんとか人並に人間関係を動かしている(つもり)。

特掃は臆病者には無理そうな仕事に思われるかもしれないが、実はそうでもない。
どちらかと言うと、臆病者の方が向いている仕事かもしれない。
臆病者は人を気にするので、人に顰蹙をかわないように細心の心配りをするし、人の言うことに従おうとする。
そのスタンスが、結果的にGoodjobにつながるのかも。

臆病者が特掃をやるには、追いつめられる必要がある。
特掃現場の一件一件、いつも私は追いつめられている。
自分が生きるためにやらなきゃならないプレッシャーと請け負ったこと(依頼者)に対する責任とに。

「やりたい?」or「やりたくない?」→当然、やりたくない!
単純に考えると、やりたい訳じゃないのにやっている自分と向き合うことになる。
誰もが嫌うこの仕事、自分でも苦しいこの仕事なのに、やり続けている。
この葛藤は、ほとんど毎日ある。

請け負った現場に逃げ道はない。
まさに、追いつめられた状態だ。
恐くたって、吐いたって、泣いたって逃げられない。

そして、そこからくる疲労感と脱力感は独特な重さがある。
頭も身体も、ホント、グッタリくる。

特掃をやる上で欠かせないものは、道具やノウハウ・経験etc色々あるが、基本的には「根性!」だ。
それも、「最後の根性」だ。

「最後の根性」とは、常日頃から当人の人格に備わっているものではなく、臆病者が追いつめられたときに爆発させるエネルギーのこと。
「火事場の馬鹿力」と言えば分かり易いだろうか。
そんな場所では「火事場の馬鹿力」に頼るしかない。
特掃って、そんな最後の根性をださないとできない仕事かもしれない。

相手は、元人間の一部。
しかも、とてつもない悪臭を放ち、見た目にもグロテスク。
こんなモノの始末なんて、余程追い詰められた人間でないとできないだろうと思う。

私は、今日も追いつめられて、頭が壊れそうになりながら、腐乱人間がこの世に残した痕を消している。




宝探しU    2006.11.23
5月から書き始めた本ブログ。
半年余が経ち、結構な量になった。
同時に、書いたことと書いていないことの記憶が薄くなってきた。
まだ書いていないことを書いたものと勘違いしたり、またその逆もでてきそう。
その辺のボケは寛容に受け止めてもらえると、ありがたい。

その昔、私が、モノを捨てられない子供だったことは、以前のブログにも書いたかと思う。
親にとってはゴミ同然に思えるようなモノであっても、子供にとっては宝物みたいに大事なモノってある。
私があまりに妙なモノ(玩具の類)を溜め込んでいたものだから、親が勝手に整理して捨てたことがあった。
私は、悔しくて悲しくて、しかも腹が立って仕方がなく、泣き叫んだのを憶えている。
大事なモノって、人それぞれなんだよね。

特掃の仕事をする場は、死体現場であることが多いが、たまに不用品の片付けもやることもある。
「不用品の片付け」と言っても、特掃でやる現場は特別なもの、いわゆるゴミ屋敷が少なくない。
ちなみに、腐乱現場がゴミ屋敷になっていることもかなり多い。

ゴミ屋敷にも色々あり、ゴミの量やゴミの中身も千差万別。
床が隠れる程度の所もあれば、天井近くまでゴミが積み上げられているような所もある。
色々なゴミがゴチャ混ぜになっている所もあれば、新聞・雑誌や空缶など特定の物ばかりがやたらと多い所もある。

ある現場。
腐乱死体現場ではあったが、そんなことよりゴミ山の方がインパクトがあった。
汚染箇所もゴミに埋もれており、遺族も完全にお手上げ状態。

ゴミを片付けることはもちろんながら、貴重品を探し出すことも遺族の強い要望だった。
遺族の欲しがる貴重品とは、預金通帳・カード・印鑑・保険証券・年金手帳etc、金になりそうなものばかりだった。
しかも、小さくて探しにくそうなものばかり。

「考えていても仕方がないんで、とにかく、やるしかないですよねぇ」
私は、見つからなくても責任は持てないことを条件に作業に着手した。

まずは、玄関のゴミから袋詰めをスタート。
中腰姿勢の作業は、なかなかキツい作業だった。
「故人は、なんでここまでゴミを溜めてしまったんだろう」
そう思いながら、ひたすら手を動かした。

「なんとか探し出して下さい!」
遺族は切望していた。

「んー、なかなか見つかりませんねぇ」
期待に応えたいのは山々だったが、いつまでゴミを漁っても一向にでてこない。
それどころか、あまりのゴミの量に疲れてきた私は、探し物をする気力がなくなってきた。

かなりのゴミを片付けると、床に敷かれた汚腐団が姿を現してきた。
「でたなー」
私は、敵の大将でも見つけたかのように、テンションを上げた。
そして、染み付いた特掃本能がムクムクと頭をだし、肝心の探し物はそっちのけで汚腐団との格闘に入った。
汚腐団については過去ブログに頻出しているので、今回は詳細記載は省略するが、例によってこの汚腐団もかなりヤバイ代物だった。

敷布団を上げると何かがあった。
茶色い腐敗粘土がベットリ着いていたので、それが何かはすぐには分からなかった。
よく見るとカードが見え、更によく見ると預金通帳が見えた。

「大事なものを布団の下に隠しておくとは、なかなかの知恵者だな」
「しかも、汚腐団の下じゃ、俺以外は誰も盗めないし」
「抜群の防犯対策じゃん」

私は、何冊かの通帳と何枚かのカードを手にとって叫んだ。
「ありました!通帳とカードがありましたよ!」
「え!?ありました?」
遺族も嬉しそうに応えた。

私は、別室の遺族のもとへ行き、それを差し出した。
「やっと見つかりましたよ」
「え゛っ!?」
「通帳とカードです・・・」
「・・・」
絶句した遺族は、鼻と口を押さえながら眉をひそました。

モノを何と説明したら分かり易いだろう。
んー、表面がドロドロに溶けた板チョコに味噌をからめた感じ・・・かな。
(また食べ物に例えてしまって申し訳ない。)

そんなモノが、探し求めていた預金通帳・カードだと言われても困るのは分かる。
しかし、せっかく探し出したモノを捨てられるのは悲しい。

私は、チョコ通帳と味噌カードをビニール袋に入れて、遺族に手渡した。
「これ、銀行に持って行ってもいいものですか?」
「さぁ・・・銀行の人もビックリするでしょうねぇ・・・やはり、やめといた方がいいと思いますよ」
その後、遺族がそれをどうしたか・・・まさか、銀行には持ち込んでいないと思うが、私が知る由もない。

宝を得るためには、相応のリスクや困難も克服しなくてはならない。
いい教訓を得た。




歯車    2006.11.21
ある日の夜、電話が鳴った。
遅い時間帯だったので、「仕事か?」と思ってドキッとした。
(夜に電話が鳴ると、色んな意味でドキッとする。電話だけならまだしも、現場出動になると気分はブルー。)
電話のディスプレーには友人の名前が見え、ホッとして電話にでた。

電話の主は学生時代の友人だった。
某大手企業勤務であることと、そこでの肩書が彼の自慢。
仕事関係の飲みから帰宅したばかりらしく、酔っているようだった。

私も酒は好む。
ただ、仕事として飲むのはかなり苦手。
幸い、この仕事では、仕事上で酒を飲む機会は少ない。
特掃に「接待」なんてあり得ない。
当たり前のことだが、接待することもなければ接待を受けることもない。
死体を接待?死体から接待される?→ジョークにもならないね。

そんな私に比べて、友人を含めた一般のビジネスマンは楽じゃなさそう。
自分の気持ちを押し殺して愛想をふりまき、自分の身体をかえりみずに酒を飲む。
想像すると大変そうだ。
「夜遅く、悪りーな」
「どうかしたか?」
「ちょっと、ムシャクシャしてな」

友人は、会社(上司)の自分に対する評価に不満があるようだった。
それで、当夜は職場の上司と飲んでいたらしかった。
上司と話しても気が収まらないのだろう、私にまで電話してきて不満をぶちまけてきた。

「まったく、納得いかねぇよ!そう思うだろ?」
「よく分かんないけど、評価してもらえるだけでマシじゃん」
「なんでだよ」
「俺なんか、評価もへったくれもないぞ」
「・・・」
「でゆーか、誰も評価してくれないんだぞ!」
「・・・誰かに評価されたいのか?」
「あー、評価されたい!」
「へぇ、そんな仕事やっててもか」
「正確に言うと、仕事の評価は求めてない・・・てゆーか、諦めてる」
「じゃ何の評価?」
「カッコよく言うと、人としての評価かな」
「何?それ」
「人格だよ、人格!」
「人格ねぇ・・・負け犬の遠吠え、きれいごとにしか聞こえねぇよ」
「いいねぇ、そのストレートパンチ」
「ごかすなよ」
「オマエ、仕事の成績がイッチョ前なだけで、人として好かれてないんじゃないの?」
「ゲッ!思いっ切り、ストレートパンチ」
「しかも、それって自分でも分かってんだろ」
「きっつー!俺をノックアウトするつもりか?」

友人は、しばらく黙りこんだ。

「偉そうに言ってるけど、オマエはどうなんだよ」
「俺か?やっぱ人間関係は苦手だな」
「人間より死体相手の方が楽ってか?」
「図星!」
「マジ!?」
「自分でもよく分かんないけど、ある意味で死体相手の方が楽だったりすることはあるな」
「マジかよぉ」
「もちろん、死体相手も楽じゃないけどな」

友人には理解できない話だった。

「大事だっつー人格は備わってるのか?」
「全然」
「金は?」
「安い」
「それで、誰も評価してくんないのか・・・オマエ、可哀相なヤツだな」
「ご親切な同情、ありがとう」

私の仕事には人事考課も査定もない。
給料は、売上・利益に応じて上下する。
特異な小集団では、肩書がついたてころで社会的には無意味。

「評価に不満があるなんて、俺にとってはただの贅沢病だよ」
「仕事の成績は、自分一人の力で獲得したと思うなよ」
「上司・同僚・部下がいなかったら無理だろ?」
「会社・組織のチームワークを大事にしてたら、自然に好かれるキャラになれんじゃないの?」
「そうすれば、納得のいく評価が得られようになると思うよ」
「頑張れよ!歯車」
「俺も、歯車になれるように頑張るからよ!」

そう言って電話を切る、孤独を愛する淋しがりやな私であった。




さらば    2006.11.19
つい先日、特掃用に履いていた靴を捨てた。
9月10日のブログに登場させたアノ靴だ。
なかなか捨てることができなかった靴を、やっと捨てたわけだ。
ブログに登場させたアノ時点でも既に末期状態だったんだけど、あれから二ヶ月余も健闘してくれた・・・て言うか、強引に履き続けた。

思えば、約半年の付き合いだった。
「半年」と言っても、夏場の半年と冬場の半年では、その中身は全然違う。
夏場の半年は、ハンパな汚れ方では済まない。

この半年の間、この靴は何十人もの人間の腐敗液と、何百(千?万?)匹ものウジを踏んできた。
汚れは靴底には限らない。
上にも側にも、何十人もの腐敗液がタップリ浸み込んでいる。
そんなことを考えると、「我ながら、よくもまぁ・・・」という気分になって苦笑した。

靴に情みたいなものが芽生えてきて、何となく神妙な気持ちになった私は、ある考えが浮かんだ。
「随分と世話になったから、最後はきれいに洗ってやろうかな」

私は、ちょっと善人になったような気分に満足しながら、靴を手に取った。
そして、臭いを確認するために鼻を近づけた。

「グハッ!くせーっ!」
ノーガードの私に、生々しい刺激臭が直撃してきた。
直近の特掃業務から放っておいたせいで、靴に腐敗粘土・腐敗液が着いたままになっていたのだ。

「チッ!しくじった!」
靴に対しての情は、腐敗汚物の力で一気に吹き飛ばされた。
洗ってやるどころが、私はそそくさと靴をゴミ袋に投げ込んだ。
そして、袋の口をきつく縛った。

それにしても、腐乱現場で嗅ぐ腐敗臭と別の場所で嗅ぐ腐敗臭は、似て非なるもの。
腐敗臭は、シャバで嗅いじゃイカンね。

余談だが・・・
せっかくなんで(?)、管理人にも靴の臭いを嗅がせてやろうかと思ったら、「いい!いい!いい!」と速攻で断られた。
当然か・・・。

新しい靴はいつまで履くことになるだろうか。
今は晩秋、これからの時季は特掃の閉閑期になるので、寿命は長めになるだろう。
多分、来年の初夏ぐらいまでは付き合えるのではないかと思う。

自分の回りを見渡せば、私が生きている世界は物が豊富だ。
日本は物質的には満たされている。
特掃現場からでる廃棄物のほとんどは、まだ使えそうな物ばかり。
(ま、物理的には使えても、精神的には使えない物ばかりだけどね。)
そんな物をどんどん処分してしまうのは、だいぶ抵抗がある。
やはり物は大切にした方がいいと思う。

でも、今回別れた特掃靴はちゃんと役割を果たしてくれた。
充分に使いきった。
「さらば、特掃靴」

「さらば」と言えば・・・
10月13日の掲載で、本ブログを終了することを示唆したが、ちょっと考え直した。
書き込み・コメントに影響を受けたせいもあるが、更新頻度を落としながらも、今しばらく続行していこうと思う。

私は、モノ凄く狭い世界で生きているので、色んな人の価値観や考えに触れることができる書き込み・コメントには格別の新鮮さを覚えている。
人間(自分)を作るうえでの材料になっているような気もする。

狭い世界でしか動いていないと、自然と、都合の悪いことは他(人)のせいにして独善的になってしまいやすい。
書き込み・コメントによって、それを修正できるような気もする。

と言うわけで、本ブログの方は今しばらく続けていこうと思うので、これからもヨロシク。




夢の痕    2006.11.17
時々、思うことがある。
生きていることの不思議さ。
生きていることの意味。
自分とは何か。

私が、「生は夢幻」「人生は夢幻の想い出」だと捉らえていることは、たまにブログでも取り上げている。
ただ、私の中でもこれは一側面でしかない。
あくまで私の中だけの話だが、矛盾しないかたちで違う捕らえ方もしている。
モヤモヤして収拾がつかない話になりそうなので、今回は取り上げない。

人間(死体)は、放っておくと腐り溶けていくことは過去ブログの通り。
自然現象とは言え、そのグロテスクさは凄まじい。

私は、そのイメージだけで「溶ける」と表記しているが、正しくは「解ける」か?、はたまた「熔ける」か?・・・流行りの平仮名表記で「とける」がマッチするのか、ちょっと迷うところだ。
でも、間違っても「とろける」って書かないように気をつけなきゃね。

現場はマンションの一室。
故人は若い男性、依頼者は故人の父親だった。

私は、部屋を見分しているうちに自殺を疑い始めた。
その理由は三つ。
故人の年齢が若いこと。
消費者金融の請求書がたくさんあったこと。
部屋にはやたらとゴミが多くて、ちらかっていたこと。
私の経験に限っては、このパターンの自殺率は高い。

遺族や故人を気の毒に思う気持ちがない訳ではないが、私は、基本的に他人の死は悲しくない。
冷たいようだが、事実だから仕方がない。
したがって、現場では辛気臭い演技もほとんどせず、思いついたことは率直に口にだしてしまう。

「自殺ですか?」
「一応、自然死ということになってますが、どうも薬を飲んだみたいで・・・」
父親もハッキリした事実を掴めていないらしく、言葉を濁すしかないようだった。

「余計なことを尋いてスイマセン」
「いえいえ、そちらの仕事にも影響することでしょうから」
寛容な、理解のある依頼者だった。

決して広くない部屋なのに、家財道具・生活用品・ゴミは大量だった。
汚染箇所を先に処理することはできず、まずは部屋を空にすることを先行させた。
この現場に限ったことではないが、悪臭とホコリ、そして汚物にまみれながらの作業は、なかなか楽じゃない。

荷物を搬出し終えると、部屋には、床に広がる腐敗液とウジだけが残った。
そして、その様を父親が見に来た。

「これは?」
「人体が腐敗した痕です」
「えっ!?」
「人体は腐敗するとこうなるんです」

父親は驚いたようだった。
「人は腐ると溶ける」と説明した方が分かりやすかったのだろうが、ずうずうしい私でもさすがにそのセリフは吐けなかった。

「と言うことは、息子の一部ということか・・・」
そう言って、父親は急に泣き始めた。
私と接するときは、ずっと冷静な姿勢を保っていた父親が急に泣き出したので、私はちょっと驚いてしまった。
しかし、その心情を察すると、余りあるものがあった。

気の利いた言葉を思いつかなかった私は、黙って床の掃除を始めた。
私にとっては、腐敗液の拭き取りはお手のもの。
みるみるうちにきれいになった。

空になった部屋、きれいになった床を見渡しながら父親は感慨深そうに言った。
「こうして見ると、息子がこの世に存在して生きていたということが、まるで夢の中の出来事のようですよ」
「・・・残った臭いが夢の痕ですかね」
「夢のあとか・・・そうですねぇ・・・」
「多少の後先があるだけで、我々の人生だってそのうち終わるわけですから、とにかく元気だして下さいね」
「ありがとうごさいます」
「こちらこそ」

私の人生は、どんな夢のあとを残すのだろうか。
大きな不安と小さな期待の中、現場をあとにした。




ヅラ?ツラい!    2006.11.15
特掃現場では、死体の頭髪が残っていることはザラにある。
と言うより、大量の毛髪が残っている現場の方が、そうでない現場より多いと思う。

骨や歯は警察がきれいに回収していくが、毛髪にまではいちいち手が回らないのだろう。
腐敗液の中にポツンと残された毛髪には、不気味なものを感じる。

首吊自殺によくある、座位のまま腐乱していったケースでは、頭皮・毛髪が床ではなく壁にくっついていることも珍しくない。
腐敗液が乾いていく段階で、接着剤みたいに作用するのだ。
なかなか想像し難いかもしれないが、この光景はかなり不気味。
想像しやすいように、具体的に説明すると、壁にベッタリと部分カツラがくっついているようなもの。
そして、当然のごとくその下は凄惨な状態。
赤茶黒の腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土が広がっている。

ある現場。
故人は和室、畳の上で腐乱していた。
驚いたのは、その頭髪。
頭の形状が極めてリアルなかたちで残っていたのだ。

死後、かなりの時間が経過していたらしく、白髪混じりの頭髪は、本物のカツラのごとく頭の形をとどめてシッカリと残っていた。
気持ち悪かったのか面倒臭かったのか、警察は頭蓋骨だけを拾って帰ったのだろう。

「ついでにコレ(頭髪)も持ってってくれればよかったのに・・・」
私はボヤいた。
そして、躊躇した。
「コレ、どうしようかなぁ・・・」

考えたところで、やるべきことは決まっている。
とりあえず、畳から拾う(剥がす)ことにして、片手で掴んで引いてみた。
重い抵抗を感じた。

「ちゃんと掴まないと、中途半端なところでちぎれてしまう」
そう判断した私は、両手を使い、髪の間で深く指を入れた。
その感覚は、自分の身体から手(腕)だけが分離されているような変なものだった。
防衛本能か?私は、自然と自分の手からを視線を外して、それを慎重に引っ張った。
精神的にも物理的にも、重い重い抵抗を感じた。

ベリベリ・バリバリと頭髪は畳から離れていった。
ところが、あともう少しで持ち上がりそうなところで、私のカラータイマーが点滅。
同時に、私の全身にモノ凄い悪寒が走った。

「イカンッ!緊急避難!」
私は、作業を中断して外に駆け出た。
そして、マスクを外して深呼吸。
心臓がバクバクしていた。
「恐えぇ・・・」
ボヤきながら、気持ちを整えた。

心のカラータイマーが点滅をやめて元に戻るまで、しばらくの時間を要した。
私は、晴天の空を見上げた。
「俺の人生、こんなんでいいのか・・・」
「今は、これをやれっつーことか・・・」
特掃には関係ないことを考えて、気を紛らわした。

しばらくの後、意を決して再突入。
余計なものを見ないように、余計なことを考えないように、毛髪を引っ張った。

メリ!メリメリメリーッ!
「お゛あ゛ーっ!」
私は、持ち上げた自分の手を見て、再び全身に悪寒が走った。
中身(頭・顔)がないのに、まるで生首を持ち上げたような錯覚に襲われたのだ。

さて、畳から外したのはいいけど、後始末には困る。
私は、どうしても持って帰る気になれなかったので、遺族に返すことにした。

もともと、でてきた貴重品は遺族に渡すことになっていたので、この「ヅラ風自毛」も貴重品の一つに混ぜておいた。

中を開けてビックリしたかな?

なにはともあれ、このヅラはツラいよ!




故郷    2006.11.13
「故郷」は、人によって違う。
物理的に異なるのは当然として、その定義(概念)も違うのではないだろうか。

生まれた所、育った所、長く暮らした所etc。
場所に限らず、人や想い出が故郷になるこもあるだろう。

特掃の依頼が入った。
故人は老人(男性)、依頼者はその姉。
現場は老朽一戸建。
平屋・狭小、プレハブ造りの粗末な家だった。

腐乱場所はその台所、板の間。
古びた室内は、かなり汚れてホコリっぽかった。その中央に腐敗痕が残っていた。
死後、かなりの時間が経っているらしく、腐敗粘土は乾き気味だった。

依頼者の話によると、現場の周辺は故人・依頼者達にとって故郷らしかった。
幼少期を家族で楽しく過ごした場所。
戦火が激しくなった頃、田舎に疎開し、終戦を迎えて戻って来たら一面が焼野原になっていた。
それで、一家は仕方なく外の地に移り住んだとのこと。

故人は、若い頃から故郷に家を持つことを目標にしていた。
そして、故郷で人生を終えることも生前から望んでいたらしい。
それを聞いて、自殺を疑った私だったが、どうも自然死のようだった。

故人は企業人としての現役を引退した後、かねてからの希望を叶えて故郷に家を構えた。
小さくて質素な家でも、愛着のある故郷で暮らすことができて、故人は幸せだっただろうと思った。
それから幾年が過ぎ、亡くなったのである。

台所に広がる汚物には嫌悪しながらも、生前の故人には親しみに似た感情が湧いてきた。

腐敗液は、台所の床にとっくに浸透していた。
表面を掃除したところで、汚染の根本が片付く訳ではない。
表面の腐敗粘土を掃除するより台所の床板を剥がして撤去する方が得策だと考えた私は、依頼者にそれを提案した。
誰も住む人はいないし、取り壊すしかない家なので、依頼者は私の提案を快諾。

私は、愛用の大工道具を使って、床板を少しずつ剥がしていった。
薄暗い床下を見て、「!?」。

床下の土には、妙に脚がたくさんある二種類の虫が這い回り、黒くボソボソとした盛り上がりができていたのだ。
床板を透り抜けた腐敗液が、床下の土に滴った結果であることはすぐに分かった。
髪・骨・歯は残っただろうけど、故人は故郷の土に還っていった訳だ。

「故郷の土に還ることも、生前の故人が望んでいたことではないだろうか」と、勝手に想像して微笑んだ私。

「土に還る」という言葉があるが、「土に帰る」じゃないところに、何とも言えない深い意味を感じる。
その意味が何であるか具体的には説明できないけど、本能的に重く感じるものがある。

以前も書いたが、私は自分の屍を火葬(焼却)して欲しくないと考えている。
故郷でなくても、どの地でもいいから、土に還りたいと思う。
しかし、今の法律や葬送習慣じゃ、無理だろうなぁ。

そうは言っても、今回の故人みたいなイレギュラーなケースは遠慮したいものだ。
仮にそうなったとしたら、後世にも特掃隊長が現れて、片付けてくれるかな?




ありがとう     2006.11.11
別れの言葉、故人(遺体)に声をかける遺族は多い。
それぞれの人がそれぞれの気持ちで言葉を発する。

生前は照れ臭くて言えなかった言葉もあるだろう。
嘘に対する真実の告白もあるだろう。
それがどんな言葉でも、最期の場面においてはその真実性・純粋性が澄んでいると感じる。

経験上の独断だが、遺族が遺体に掛ける言葉で多いと思われるものを挙げてみる。

「お疲れ様」
「ごめんね」
「さようなら」
「天国に行ってね」
「ありがとう」etc

先に死んでいった人への想いは、これらの言葉に凝縮されているものと思う。
そして、これらの言葉の中でも、「ありがとう」が断トツで多いように思う。

「ありがとう」
人によって、この言葉が意味するところに若干の温度差があるかもしれないが、とりあえずは感謝の気持ちがベースのはず。
故人に対しては最終的には感謝の気持ちが残ることが多いのだろう。

では、この世に生きているうちはどうだろう。
我が身を振り返ってみると、人に対して感謝の気持ちを携えて生活しているとは言い難い。
それどころか、不平・不満・不安ばかり。

不平・不満・不安は人に対してだけでは収まらない。
生活・境遇・過去・未来etc、自分を取り巻くほとんどのことに入り込んでいる。
だから、普段の生活において、口から出るのは感謝の言葉より不平・不満・不安の言葉の方が多い。

仮に、一日のうちで自分が発した言葉を数えてみるといいかもしれない。
上記したような言葉と愚痴・悪口、どっちが多いだろうか。

私の場合は、欲望ばかりが自分を支配して、感謝の気持ちはほとんど持てないでいる。
特に、金銭欲と名誉欲が旺盛だ。
いつも「金が欲しい」「人からよく見られたい」と思っている。
「金があったら、やりたいことができる」「欲しいものが買える」
「人から評価されたら、どんなに気分がいいだろう」「上を向いて生きていける」

そして、その全く逆である現実が、感謝の気持ちを打ち砕くのだ。

では、私の人生は感謝に値しないことばかりなのだろうか。
イヤ、そんなことはない。決してない。
苦しいことも、悲しいことも、辛いこともたくさんあったけど、感謝(すべき)に値することの方が圧倒的に多かった。
多分、未来もそうだろう。

私には、元気に動かせる身体がある。
雨風がしのげる家もある。
毎日の食事もある。
こんな仕事でも、生きる糧として与えられている。

身近なところから一つ一つ思い返してみると、感謝の対象は際限なくある。
贅沢・華美な暮らしではないけど、感謝すべきことはたくさんある。

最期に言いたくなる言葉(ありがとう)が予め分かっているのなら、時間がある今のうちからどんどん使った方がいいね。
これからの人生に、「ありがとう」を連発する生き方を期待したい。

どんな人生だって、過ぎてみれは夢幻の想い出。
最期は感謝。

今日もこのブログを読んでくれている戦友に「ありがとう」。
そして、今日も生かされていることに「ありがとう」。




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